「いのちの教科書」

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金森俊朗さんの名前を知ったのは、今から10年前の石川テレビのドキュメンタリー番組だった。
深夜、何気なく見ていた番組に妻と2人で釘付けになって見たことをおぼえている。
この人の存在は、ぼくにとっても特別のような気がした。ビデオテープへの録画は、番組の途中からだったが、コレクションの中でも特別の存在だった。
去年、橋本市のツモリという本屋さんで、「いのちの教科書」という金森さんの文庫本を見つけた。文庫の表紙にはいわさきちひろさんの絵があった。
一目で金森俊朗さんだというのがわかった。本を開くと2003年5月11日に1年間かけて映像を撮った「涙と笑いのハッピークラス〜4年1組 命の授業〜」という番組が放映されたとあった。
ものすごく残念なことにこの番組の存在をぼくはまったく知らなかった。
「いのちの教科書」という文庫本は、この番組やぼくが見たドキュメンタリーの内容を伝える本になっている。映像では伝えきれない金森さんの「思い」も本には書かれていて、読むと胸が熱くなる。
金森さんは、命の授業の中で生と死を教えている。
人間は、コミュニケーションを通じて生きている。豊かに生きている。子どもは、生きづらい競争的な世界の中で、深く傷つき、悲しみを小さな胸の中に抱え込んで生きている。
命の授業は、人間という存在は、みんな、心を開き交流していけば信頼できるものであることを、理屈や言葉ではなく、実際にさまざまな体験を重ねることによって、実感していったことを伝えている。
学校は人間を育てる場所。人間が人間との交流の中で、体全体を通じて信頼できることを身につけていく場所なのだと思う。しかし、このような存在であるはずの学校は、いまふところ深くこのような場所として存在しているだろうか。
金森さんの教育実践は、このような問いかけを日本全体に投げかけている。
本の最後に書かれている次の言葉を忘れないでいたい。

私がずっと大切にしてきた思いは、大人側が言葉で教えるよりも、子ども自らが感じ、学べるような場を子どもに保障したいということです。そうしたとき、子どもは学ぶ感性と、学ぶ意欲を発揮します。
 本物の生きざまに触れるとき、子どもは自ら学び始めます。
 自然や友に飛び込んでボディ・コミュニケーションをするとき、「私は大きなつながりのなかで生きている」と体で実感します。いのちの奇跡と大きなつながりを直に体験するとき、自分と他者のいのちへのいとおしさが生まれます。
 そして、共に日々の学びを創るなか、仲間とつながることの喜びと強さが、心にしっかりと刻まれてゆくのです。
 きらめきの少年期が原風景として心に宿るとき、それは生きる力となるでしょう。いのちをせいいっぱい生きていく確かな土台となるでしょう。
 いのちのリレーははるかに細く、かろうじてつながっているものです。
 だからこそせいいっぱい輝いて生きてほしい。


金森先生は、ぼくが5年生と6年生のときに習ったM先生と2重写しになるような先生だった。
忘れられない本というものがいくつか存在する。この本は、ぼくにとってそういう本の1つになった。
人間が本気で、全力で子どもたちと向き合い、体全体で伝えていく。教育というものの輝きと確かな手応えがこの本にはあふれている。
「いのちの教科書」という赤い明朝体の文字が本に記されている。
笠田に来ていただいてこの先生の話を聞いてみたくなった。
いのちの教科書―生きる希望を育てる (角川文庫 か 48-1)/金森 俊朗

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Posted by 東芝 弘明