道理の通る国

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この世の中で、自分のスタンスを見失うことはありませんか?
作家の広津和郎さんは、かつて「何よりも先ず、正しい道理の通る国にしよう、この我らの国を」と言いました。
この言葉が、世に放たれてから50年以上経っているかも知れません。
日本の日常は、不合理の極みにあるかも知れません。
この中で、何が真実なのか、何が道理なのかさえ分からないような状況があります。
かつて、自由民主党は、戦前の日本共産党に対して、自民党が発行した「研修叢書」(けんしゅうそうしょ)という自民党の研修本には次のように書かれていました。
「社会党を含めてほかの政党が何らかの形で戦争に協力したのにたいし、ひとり共産党は終始一貫して戦争に反対してきた。従って共産党は他党にはない道徳的権威を持っていた。」
哲学者の鶴見俊輔さんは、次のように書きました。
『多くの転向者を出しながらも、日本共産党がほかの諸政党に比べられるとき、その特徴となるのは非転向性である。日本の思想は実にぐらりぐらりと外的な刺激に応じて「移動」してゆく。・・・・・すべての陣営が大勢に順応して、右に左に移動して歩く中で、日本共産党だけは創立以来、動かぬ一点を守り続けてきた。それは北斗七星のようにそれを見ることによって自分がどの程度時流に流されたか、自分がどれほどダメな人間になってしまったかを計ることのできる尺度として1926年(昭和元年)から1945年(昭和20年)まで、日本の知識人によって用いられてきた。』
では、現代はどうでしょうか。
情報化時代の中で、膨大な情報があるのに、何が本当に真実なのかが分かりにくくなっています。
原発問題でもしかりです。
日本共産党は、原発の科学技術水準には、重大な不安定性があり、冷却水が失われると炉心溶融が起こることを70年代から指摘していました。また、使用済み核燃料についても、処理方法が確立していないので、トイレのないマンションだと指摘し、老朽化した原発の停止と新たな原発は造らないという政策を打ち出していました。
しかし、国は、原発問題に対し、原発は安全でクリーンだと宣伝し、今年になってからは、より一層積極的に推進する立場を表明していました。各電力会社は、原発こそCO2を排出しない最もクリーンなエネルギーだと宣伝を始めていました。
日本共産党の主張との隔たりは、歴然としており、3月11日の事故が発生するまで、日本共産党の主張は、極端な論理で、異端視扱いされていました。日本共産党の論調をまともに取り扱わないということは、反原発で運動を行い、原発の誘致に反対している人々に対しても、まともに取り扱わないということとつながっていました。マスコミは、電力会社から多額の広告料を取っている関係で、反原発の運動や日本共産党の主張は、まともに取り扱いませんでした。
まあ、日本共産党の言っていることについては、無視するかのごとく扱うのが、マスコミの流儀になっていますが。
しかし、こんな態度を取ってきた結果、日本社会は、道理がどこにあるかさえ分からないような国になってしまったのだと思います。
おかしな論調は、毎日、再生産されています。
イラク戦争は、アメリカとイギリスによる国際法無視の侵略戦争でした。
アフガニスタン問題で、ビン・ラディン氏を武力で殺害したのも、国際法に違反した蛮行でした。結局、ああいうやり方では、9.11のテロ事件の真相は明らかになりません。なぜ、国際的な連携をおこなって、ビン・ラディン容疑者を逮捕し、裁判を通じて真相を明らかにしなかったのでしょうか。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に日本が参加する問題でも、この協定が日本に何をもたらすのか、まともな追及はほとんどありません。マスコミは、政府の言い分を大量にたれ流しています。
「何よりも先ず、正しい道理の通る国にしよう、この我らの国を」
と語った広津和郎さんは、決して反共的な態度は取りませんでした。
日本の国の中で、日本共産党が主張する論調をまともに扱わないのは、道理から目を塞ぐことになります。日本共産党は、政党の利害で動いている団体ではありません。一番大切にしているのは、何が真実なのかという観点です。自然科学と社会科学の真実を徹底的に探究し、その立場から物事を見ることを何よりも大切にしている政党です。この政党の言い分に耳を傾けることが、真実を見つめることと重なるのは、ここに理由があります。
こんな風に書くと、独りよがりのように読めますよね。
日本共産党の科学的社会主義の哲学の立場とは異なる哲学者だった鶴見俊輔さんが、日本共産党を「北斗七星」にたとえて、物事を見る尺度としてきたと書いたことの意味は大きかったと思います。
鶴見俊輔さんは、時には日本共産党にも手厳しい批判をおこなう人でもありますが、この哲学者が書いたことは、現代日本においても、非常に大事な視点になっていると思います。
客観的真理を探究しよう。この道を歩んでいけば、道理が生まれてくる。真理の探究にこそ人類の希望がある。ここに依拠するためには、経済的な利害関係に左右されない組織が必要になる。この立場に立っているのが、政党では日本共産党に他ならない。ぼくはそう思っています。
もし、日本共産党が、この真理探究の道から離れたら、それは日本共産党が道を踏み外すことを意味します。人間の組織ですから誤りは避けられません。日本共産党の回復力は、真理の探究力だと思っています。
真理の探究というと「情」がないような感じを持つ方がいるかも知れません。「情」は、理屈では割り切れないというような見方もあります。論理的でなく情に流れるような傾向が、日本的だとも言われます。日本の「情」は、天候がめまぐるしく変わり、季節が鮮やかに変化する風土と結びついているようです。「情」は人間の豊かな感情によって起こります。「情」に流されながらも、真理を見失わず、感情を大切にしながら、しなやかに真理を探究する。ここに文学が生まれるのだと思っています。
映画でいえば、山田洋次さんや小津安二郎さんの世界ですよね。
「情」と「真理」、この2つは真っ向から対立するものではありません。むしろ「真理」は「情」と結びついて力をもつのだとも思います。

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Posted by 東芝 弘明