あしたのジョー2

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3月1日になると暖かくなった。
久しぶりのいい天気だった。
最近、GyaOで「あしたのジョー2」を見ている。
「あしたのジョー」は梶原一騎ワールドでもあるが、ちばてつやのやさしさがにじみ出る作品でもある。
ジョーは、ドヤ街の子ども達に心底優しい。小学生の子ども達と遊ぶ姿は、何だか心にしみる。
ジョーは、この町の空気を吸って生き、この町の人々に支えられてリングに立っていた。
野生をむき出しにした生き方を描いたのは梶原一騎だったのかも知れない。しかし、ジョーの優しさを描いたのは、まさにちばてつやだったのだと思う。
そして、白木葉子の中に潜んでいるジョーに対する愛情の深さもまたちばてつやの世界とつながるものだと思う。
カーロス・リベラがクリスマスイブの日にドヤ街にやってきて、1日だけジョーとさまざまなところに行って遊んで語り合って、殴り合わずに(ジョーが公園で決着を着けようと言って殴りかかっても、まともに相手をしないで)すごすところにも、ちばてつやのやさしさがにじみ出ている。
バイオレンスに非常にジョーを闘いに駆り立てていく梶原一騎的な世界の中で、人間的な作品として存立している「あしたのジョー」は、なかなか語り尽くせない豊かな世界をもっている。
作品は細部から出来上がっているので、原作者と作家が自由自在にできないもどかしさがある。そこが面白い。ちばてつやが力石徹をジョーより頭一つ高く描いてしまったことによって、プロボクサーとしては対戦できないという宿命を背負わせてしまう。それが、力石の過酷な減量となり、力石の死を招くという描き方につながっていく。
梶原一騎がなぜ高森朝雄という名前で原作を担当したのかという点については、単に「巨人の星」と同じ原作者だと思われないようにというだけでないような気がしている。原作を変更することの了解を最初から求めたちばてつやと梶原一騎の共同の作品だった「あしたのジョー」は、原作=梶原一騎とするより原作=高森朝雄としたほうがいい。高森朝雄という名前には、ちばてつやが色濃く入り込んでいる。


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Posted by 東芝 弘明