公約実現型の選挙の意味

雑感

地方議員についての報道を見ていると、不祥事の積み重ねるような報道が繰り返されている。これらの報道は、兵庫県の野々村竜太郎元県議の号泣記者会見を出発にしている。事態は、すでにネガティブキャンペーンの様相を呈している。

地方議員のとんでもない実態は、おそらく今に始まったことではない。日本全国を探せば、数多くの目を覆いたくなる実態は、たくさん転がっている。政策を明らかにせず、議会に出てきて、質問もしないというだけでも、支持をしていない人から見ると、とんでもない議員ということになる。でも、そういう人が、人気のある議員でもあるので、議員の実態は、日本の民主主義の度合いをはかる尺度だと言える。

政策を明らかにしない議員にも言い分はある。「議員活動は議会の中の活動だけではかられるべきではない。議員は地元とよく結びついて、日常活動で重要な働きをしている」
こういう言い分だ。しかし、このような言い方は、自己弁護だろう。議会での仕事が第一。日常活動が第二、どちらもがんばればいいだけの話だ。
地元との関係を大事にし、地元のために重要な役割を果たせばいいというのは、地元から推薦された議員の重要な使命になる。地域密着型の議員は、地域推薦が生み出す弊害なのだと思われる。地域密着型が悪いというのではなく、活動の視野が地域密着型でしかないところに問題がある。

地元のために仕事をすれば、それでいいということであれば、政策は必要ない。政策を明らかにしないことと地域密着型議員の問題が、深く絡んでいるのであれば、地域推薦という形を見直す必要がある。名前の連呼にとどまる一つの要因は、こういうところにあるだろう。

公約を明らかにすれば、責任が生じる。実現が問われる。自らを追い込むことになる。公約を明らかにし、支持を訴えることに徹して、選挙をたたかうようにするためには、地域推薦をやめる必要がある。しかし、地域推薦をやめただけでは、公約表明型選挙には移行しないのも明らかだ。

問われているのは、住民要求を実現するプロセスを把握し、それを政策化する力量だ。この力量がないと公約はつくれない。
公約表明型の選挙というのは、「明るいまちをつくります」とか、「活力あるまち、住みよいまちをつくります」などというような、抽象的キャッチフレーズにとどまっているだけでは、実現しない。公約にはもっと具体性が必要になる。たとえば、「学校給食の実現」「学童保育料の値下げ」などのように。

選挙を見ていると、具体的な政策を語る人は極めて少なく、抽象的なスローガンにとどまっている人が多い。「若者の声を議会に」とか「女性の声を議会に」というスローガンをアナウンスする人は多いが、こういう抽象的なスローガンだけでも期待感を膨らませる力になりうる。しかし、これらは、抽象的なものにとどまると、ごまかしのスローガンにさえなる。
こういう抽象的なスローガンが、語られるようになったのは、一歩前進なのかもしれなが、抽象的スローガンから脱皮することを議員・候補者は、真剣に考えるべきだろう。

具体的政策を語るためには、政策を実現するプロセスが見えていなければならない。全くの新人の候補者でこのことを明らかにするためには、候補者になる段階で政策を持つ必要がある。政策立案のハードルは高い。しかし、地方議員になるためには、この高いハードルを乗り超えることが求められる。

地方議員に対するネガティブキャンペーンは、いっせい地方選挙に向けて加熱するように見える。このキャンペーンは、住民の中に政治不信を増幅させるだろう。これは、投票に行かない傾向に拍車を掛ける。安倍政権が戦争準備を進めているときに、なぜ政治不信を増幅させるのだろう。ここには大きな意味と戦略がある。

支持なし層が増えている現在の状況下で、政治不信を増幅させることは、支持なし層を増やすとともに、政治から目をそらさせる力になり、議会不要論さえ生み出し、投票を放棄する行為を増大させる。こうなれば、相対的に大きな力を持った利益誘導型、権力型の政党が有利になる。
地方議員に対するネガティブキャンペーンは、深くは戦争準備の政治と結びつき、いっせい地方選挙で自民党が勝利する戦略と結びついている。

マスメディアが政治と民主主義の発展を望むのであれば、地方議員のだらしなさ、ていたらく、ふがいなさ、不正常な実態を暴くだけではなく、公約実現型の選挙と政治が実現するようなキャンペーンを合わせてしなければならない。地方政治で、日本共産党の候補者が掲げている具体的な政策は、群を抜いている場合が多い。しかし、都市部では、日本共産党以外の議員も、具体的政策を掲げるようになりつつある。ここにこそ民主主義発展の方向性がある。

民主主義的な社会の仕組みにおいて、議会制度を発展させることは、極めて重要な意味をもっている。議会制度の確立は、社会の民主主義的な仕組みの根幹をなしている。議会制度が機能しない国で、住民の中に民主的なルールが確立することはありえない。
自由と民主主義を守り発展させたいと願うなら、政治制度は避けて通れない。政治は国民を支配する仕組みの根幹をなしている。国民を支配している政治体制への監視を強め、支配する政治体制を国民主権が生きるものに変えるためには、政治に対し、重要な関心をもち働きかけることが必要になる。国民が政治に背を向けると、政治は国民への支配を強める。まさに日本はそうなりつつある。

議員・候補者が具体的な政策の立案能力を開花し、公約実現型の選挙になるよう強く要求することにマスメディアは努力してほしい。ネガティブキャンペーンだけにとどまるマスメディアは、権力の手先になってしまう。マスメディアには、社会をよりよい方向に発展させる自覚のもとで地方政治に向き合ってほしい。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明