1人の議員の力は小さいのだろうか。

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歓送迎会の席上、つまりお酒が入って酔っぱらっているときに、交わした会話が頭の隅に残っている。ある保守系の議員さんから言われた言葉だ。
きちんと一度書いておきたいが、書き始めたらかなり長くなるかも知れないと思うと、どうも「よし書こう」という気持ちにならなかった。
ということで、今日は「よし書こう」という日にしたい。
「議員は、16分の1なんだから、自分でこれができました、なんて言うべきでない」
酔っぱらっていたので、定かではないが、交わした会話はこういう話だったと記憶している。
このような物の言い方は、非常に日本的だと思う。
そう、議員は16人の中で自分は1人しかいない。議会は、基本的には過半数(重要案件の場合は3分の2とかの賛成が必要、そういう場合は具体的な規定がある)の賛成で成立する。したがって、議員1人だけの賛成では実現しない、これはまったく自明のことだ。
議員の実績は、当局が提案を受け入れ、もしくは、議員が12分の1の賛成を経て提案した議案を議会の過半数が賛成して始めて実るものだ。
では、なぜ実績なのか。
これは、深く考えてみる必要がある。
一番危険なのは、「議員は16分の1に過ぎないのだから、自分の力で実現できるというものではない」という考え方だろう。こう考えると、積極的に、自発的に、自主的に政策や公約を掲げ実現をめざすということにはならないのではないだろうか。自分1人では、実現しないのだからという考え方でいると、積極的な政策提案さえできなくなってくるのではないだろうか。議員が、そんな風に考えてしまったら、事態を動かしていくという前向きな意欲が生まれなくなってくるのではないだろうか。
1人の力では実現できない、というのは、議会の仕組みからいって、それは当たり前の事実なんだけれど、この考え方は、議員の活動を自分でものすごく小さくしてしまう、最も危険なものをはらんでいるように感じる。
1人であっても、道理があり知恵もあり、そういう方向に進むことが良いということになれば、事態は動く、政策は実現する。──ぼくはそう考えてきた。
一般質問も質疑も同じだが、一つ一つのやり取りは、1歩でも2歩でも事態を変えたい、施策を改善したいということだった。だからこそ、情熱をもって町長に向きあって、粘り強く積極的な提案を重ねてきた。
深く物事を考えて、さまざまな角度から検討して積極的にかつ具体的に提案をしていけば、事態は動く、政策は実現するということも経験してきた。
この経験からいえば、「1人の力では何も実現しない」というのは事実にも反している。
もちろん、自分の提案が実現するのには時間がかかる。最終的には議会での可決というものが必要になる。議員の提案が、町当局を動かし、町長の提案という形で実現したり予算に盛り込まれたりすることが多い。
こういうプロセスを経て実現したことについて、「自分1人で実現したかのようにいうのはおかしい」というのはよく分かる。
日本共産党議員団の実績は、「○○を提案し実現」という様な表現をしたり、もっと具体的に実現してきた経緯を書いたりしてきた。
最終的には、議会の可決を通じて施策として実現するということを前提にして、実績を語るべきだと思っているが、いかがだろうか。
もう一つ気になるのは、「1人では実現しないのだから」という考え方に立っていると公約を語らなくなってしまうのではないか、ということだ。
日本共産党議員団の公約は、「○○を実現します」という表現はとれないので、「○○の実現をめざします」という表現になっている。これは、「1人で実現できるものではない」ということを前提にした書き方だ。
議員は住民の代表として議会に出て行く。議会は、自治体の最終の意思を決定する機関だ。この議会で、たくさんの自治体の最終意思決定がおこなわれるのだから、議会に出る議員は、住みよい自治体づくりめざして、自分の公約や政策を明らかにして選挙をたたかうべきだと思っている。住民に約束しない議員は、議会に出て、働かなくても責任放棄にはならないだろう。しかし、それでは住みよいまちづくりはできない。
公約や政策を積極的に掲げて、その実現をめざし努力をするのが議員の仕事だと思う。
公約を明らかにしない議員の方がはるかに多い。しかし、それでは状況の改善はのぞめないのではないだろうか。
公約と政策がないと住民との間での約束もなくなってしまう。議会で賛成反対の態度表明をおこなうことは、議員に課せられた仕事だが、その仕事をいかに積極果敢に果たしていくのか。問われているのは、議員という仕事をどのように考えるのか、ということではないだろうか。
国会は、立法府になっている。立法府と行政府は独立している。政党政治の中で、過半数を占める政党が政府を構成する。議院内閣制は、過半数を超えた国会内の勢力が行政府のトップ機関である政府をつくる。したがって、各政党の公約や政策は、与党でない野党の場合、地方議会と同じように政府を動かしたり、法案を提出したりして実現していくものになる。
1人の議員の質問が、事態を切りひらいてきた歴史は数多く存在する。たった1人の議員の質問が、国の政策を変えてきた歴史が国会の中にはものすごく多く存在してきた。
最近、非常に印象に残ったのは、派遣労働の問題で質問をおこなった志位委員長の追及と小池晃参議院議員の介護保険問題での質問だ。
2人の質問は、それぞれ1時間足らずのものだったと思うが、この濃密な質問が現実の政治を動かした。
志位質問は、派遣労働者の権利を守り法律に違反した派遣切りについては、国に管理監督の責任があることを認めさせた。
小池質問は、介護保険の給付費削減の政府資料を暴露することによって、政府が具体的に介護認定の基準を見直す約束をさせるとともに、経過措置として以前の認定基準に基づいて介護サービスを受けることができるようになった。
「たった1人では何もできない」
これは、わが国の国会の現実にも合わない。
政策と公約、それを掲げての議会での奮闘、住民運動と議会活動との結合、こういうことがものすごく大事になっている。これは保守、革新問わず議員全員が肝に銘ずべき課題なのではないだろうか。
住民の血税によって活動している議員は、住民と約束しその実現めざして、必死にがんばるべきだろう。
21世紀の今の時代、議員に求められているのは、住みよいまちづくりや地域経済の活性化だと思っている。1人でも公約を積極的に掲げ、機会のあるごとに発言をし、積極的な提案を積み重ねて、実現を求めていく。こういう議員が増えることが、町民の幸せにつながっていくのだと思う。
かつらぎ町の場合は、2人議員がいれば政策提案できるし、議案の提出もおこなえる。1人でも一般質問という権利が保障されているのだから、この機会を最大限活用し、政策的な提案をおこない実現をめざすべきだろう。
CHANGEとCHALLENGE、議員の精神の中でこの2つはどちらも大切な精神。公約を語り実績を語り、信頼をしてもらってくり返し努力する。
議会がそういう風に変われば、住みよい町はできる。
1人の力は決して小さくない。


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Posted by 東芝 弘明