愛国心の中に革命権を入れるべき

雑感

日の丸の逆

安倍政権、ゆらぎ始めましたね。金権腐敗まみれ、モラルの低下で屋台骨が揺らぎつつあります。そういう政権が打ち出した道徳の教科化。
「あんたたちにモラルを説かれてもねえ」というような状態です。

道徳は、上から教え込むものではありません。モラルは実際の生活の中で、具体的に身につけるものです。自分の頭で考えて生きる人間を育てるということと、高い道徳性を培うことを同時に実現するということです。これが教育のめざすべき方向です。

目上に逆らうな。
畏敬の念をもて。
国家に愛情をもて。
周りの人間を大切にし親を大切にしよう。
結局、これらは忠君愛国ですよね。

学問の自由は、全ての常識を疑うところで成立します。問いなおすということです。自ら全ての問題に問いを立て、問題を解決する人間になるということは、その根底に、物事に対して「批判的であれ」という精神をすえるということです。こういうものと、上から教え込むような道徳(=洗脳に近い)は、根本的に相いれません。
先輩を立てる、相手を敬う、国を愛する、親を大切にするというようなものは、本人の自発的な意志によって育まれるもの。つまり、教え込むのではなしに学びとるものです。

よく、日本は宗教がないので、モラルが育たないというようないわれ方をします。宗教によってモラルが培われる側面はあると思いますが、宗教が唯一のものではありません。人類は、長い時間をかけて、社会的な規範というものを培ってきました。それは憲法の精神として生きています。憲法は、国民の権利を守り、国民の義務を規定し、同時に国家権力の手をしばることによって、平和を希求しています。日本国憲法には、日本の侵略戦争への反省と、平和への祈りと願い、決意が込められています。ここに、国民が培うべき道徳の基本もあります。

基本的人権を学び、国民の権利を学ぶ。子どもであれば、子ども自身の権利を子どもの権利条約も含めて学び、それを実際の学校生活や地域の取り組みに生かしていく。まさに憲法を具体的に暮らしのなかに生かすことによって、21世紀に国民が身につけるべきモラルも見えてきます。
自分の頭で考え、メディアリテラシーを持って、真実を見抜き、全ての人の権利が生かされる地域や社会、国をつくる努力を行うためには、国民を支配しようとしている傾向を見抜き、不正とはたたかい、真実を愛し、誤った国家権力の国民支配の企みとはたたかう。これが自覚した主権者としてのモラルだと思います。

アメリカの憲法には、革命権が規定されています。愛国心をいうのであれば、アメリカのように愛国心の中心に革命権をすえる必要があります。国を愛するがゆえに、政権党の反民主主義的な動きとはたたかう。これはきわめて大切な愛国心です。
国を愛する心の大切さを一般的に説いて、現政権や現在の国家を愛せというのは、徹底的に国民を痛めつけ、消費税増税や負担増を押しつけている、原発再稼働に熱中し、自然エネルギーを疎ましく思っているような、政権を愛せるでしょうか。
「放射能は湾の中で完全にブロックされている」というような首相の言動は許せません。
労働者派遣法の改悪を涼しい顔で国民に押しつける人を好きにはなれません。
国を愛せるかどうかは、一人ひとりの個人の気持ちであり、思想信条の自由、良心の自由の問題でもあります。
愛国心の押し売りはごめんです。

本物の愛国心とは何か。
教育として、道徳を教えるというのであれば、この問題をとことん子どもの時代から自由に議論する必要があります。
一つの小さな例を知っています。
アメリカでイラク戦争が起こったときに、子どもたちが学校の教室で新聞を読み、議論しました。
その結論は明快でした。
「ブッシュが悪い」
これこそが、アメリカにおける愛国心教育ではないでしょうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明