読んでいた本なのに新鮮

雑感

kyarameru

中学校の同級生は、194人だったことが分かった。ぼくは、随分長い間180人だと勝手に思い込んでいた。当時は40人学級で、1クラス38人から9人いたことになる。同窓会を行うので名簿を見ながら顔を思い出している。しかし、どうしても顔と名前が一致しない人がいる。おそらく、ぼくのことを記憶していない同級生もいるだろう。
人数の多い時代だった。生徒は各クラブ(部活動)に溢れ、クラブには人手不足というようなものはなかった。今から40年も前のことになる。当時すでに人口の減少ははじまっていた。しかし、世の中は未来に向かって進歩していくという漠然とした見通しがあった。
中学生の心にあった不安は、ノストラダムスの大予言ぐらいだった。「1999年7の月、空から悪魔の大王が降ってくる」という雑誌の記事を読んで、遠い将来ぼくが40歳になる1年前に人類は滅ぶかも知れないという気持ちがあった。
しかし、1999年の7月、空から悪魔の大王は降ってこず、当時の関心事の一つはコンピューターの2000年問題だった。見事だったのは、本屋さんに増え続けていた『ノストラダムスの大予言』関連の本が、7の月以降きれいさっぱり消えたことだった。でも、いまだにAmazonでは買えるみたい。どうしてあんな話を信じてしまったんだろう、という興味でよまれているらしい。作者の名前がいまだに掲載されているのは、何だか物悲しい。

時代がものすごいスピードで動いているので、自分の本棚にある本もかなりのスピードで過去のものになりつつある。『ベスト・エッセイ集』の『母のキャラメル』(2001年版)を読み返しているが、この本の中の作家にも亡くなった方がいる。藤原伊織さんもその一人だった。この方は、直木賞を受賞したときも勤め人だった。ある職場の広報室に身を置きながら作家という仕事を行っていた。
以前、読んだはずなのに、そういうことは知らなかった。川上弘美さんは、小さいアパートに一人で暮らしていた。エッセイには人柄が表れる。心引かれる作家に出会うと人物そのものに興味が湧いてくる。短いエッセイを読みながら、作家の日常やものの見方、考え方に触れていく。そこに面白みがある。この本の中には、松たか子さんが書いたエッセイも収録されている。読んだはずの本なのだけれど、すっかり忘れているので、どんな松たか子さんに出会えるのか。読み進めることが楽しい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明