ゴリラ研究から見えるもの

未分類

山極寿一さんのゴリラに関する話を「ラジオ版学問のススメ」で聞いた。ゴリラは体も心も人間より大きいという話は聞き応えがあった。
なぜ、ゴリラの研究をしているのか。それは、人間自身をよく知るためにおこなっているのだという。
人間とゴリラのDNAの差は、シマウマと馬の差よりも小さいらしい。ゴリラは、猿科の生き物ではなく、ヒト科(サル目ヒト科)に属するのだという。
胸を叩くドラミングは、戦闘を好まないゴリラがとるコミュニケーションの一種だという話や、人間以上に相手を受け入れて相手と交流する面をもっているという話などは興味深かった。
包容力というのは、どれだけ相手を受け入れることができるのかという懐の深さにあり、ゴリラは人間よりも相手を受け入れる許容量が大きいのだという。
ゴリラやチンパンジー(サル科ヒト目)は、生まれてくるときに産声を上げない。人間がなぜ産声を上げるのかというと、存在をまわりに受け入れてもらうために泣くのだと話されていた。
ひ弱い人が、赤ちゃんの状態で生まれ、まわりの庇護なしに育たないということは、人間という種がコミュニケーションなしには育ち得ないことを意味している。人間にとって、周りの人間とコミュニケーションをとるということは、人間が人間として生きる必要不可欠な方法であり、人間の本質を形成しているのだともいう。
コミュニケーションを断ち切るような形で、人間関係が壊れたり家族の関係が壊れたりしている人間の社会は、人間本来の姿を損なっているものだという。この問題は、こういう側面からも比較検討されるべき中身をもっている。
ゴリラという動物の観察や研究が、人間を新たな光で照らすという話は、奥が深いなあと感じた。
以前、天文学の分野で佐治晴夫さんが、宇宙の根源を知るということは、人間とは何かという問いに対して答えを求めようとする研究に他ならないということを語っていたが、今回のゴリラ研究は、この話とつながる話として、非常に大きな示唆を与えてくれるものだった。
学ぶとは何か、ということに対する具体的な姿が、山極寿一さんの話には満ちていた。
こういう話はくり返し聞きたいと思う。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明