知的好奇心は放物線を描きながら落ちていく。
先進国では、高校の授業料は無料のところが多い。
日本共産党は、日本でも高校の授業料を無料にすることを展望しながら、当面は授業料の減免を拡充することを政策に掲げている。少し紹介しておこう。
(「世界一高い学費」を軽減し、経済的理由で学業をあきらめる若者をなくすために
2008年4月16日 日本共産党
より抜粋)
国際人権規約(A規約=経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)の第一三条は、高校と大学を段階的に無償化することを定めています。
日本政府は、国際人権規約に加わりながらこの条項について「留保」したままです。無償化条項を留保している国は、条約加盟国百五十七カ国中、日本とマダガスカル、ルワンダの三カ国だけです(二〇〇八年二月現在)。二〇〇一年には、国連・社会権規約委員会から「なぜ世界第二位の経済力の日本が認めないのか」「早く留保を撤回するように」という勧告が出されています。ところが政府は、回答期限の二〇〇六年が過ぎても、勧告への回答を放置したままです。かつて政府は「解除する方向に努力をし、またそういう責任がある」(一九七九年、園田直外務大臣)と明言していました。ただちに「留保」を撤回し、「世界一高い学費」の負担軽減をすすめる姿勢を明確にすべきです。
以上の提言を実現するための経費は年間約千九百億円であり、政府がやる気にさえなれば、ただちに実行可能なものです。日本共産党はその実現のために全力をつくします。
国際人権規約A規約(社会権規約)
高校教育の無償化(第13条2項b)
種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること
大学教育の無償化(同条同項C)
高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること
(注)中等教育とは中学と高校などを、高等教育とは主に大学をさす用語
世界は、高校の授業料を無料化する方向に進んでいるのに、日本は受益者負担の考え方のもとで、逆に授業料を値上げする方向に動いてきた。
日本の教育は、先進国にはない授業料の高さを「誇り」、文字どおり世界一の高さになっている。
日本政府は、若者が豊かな学力を身につけて、社会に貢献することを、本人の自己責任問題だとしているようだ。若者は宝という視点が欠落している。「競争の中で生き残った人間を人材として活用する」──これが日本の支配層の教育観なのかも知れない。
人間の豊かで自由な発展。
日本国憲法第13条 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
こういう発想に日本の教育は立っていないような気がする。
だから、子どもの数が減ってきたら、高校の定数を削減し、必ず競争が起こるようにして、高校受験で試験に落ちる子どもたちをつくるのだ。教育委員会は、競争の組織=教育だと思っているようだ。
ぼくは個人的には、高校入試は必要ないと思っている。大学入試については、ヨーロッパのいくつかの国のように、資格試験にして、一定水準の学力があれば、どの大学にも進学できるようにすればいいと思っている。アメリカみたいに、高校の3年間の総合評価によって、行ける大学が決まるというのも面白い。
学問探究の最も根本的な動機は、知的好奇心だと思う。学校の教育の中で競争をなくしてしまえば、知的好奇心を伸ばしていく教育に変わるのではないだろうか。学ぶことが面白いという知的好奇心は、やがて年齢を重ねるなかで、人生の目的や目標と結びつき、学びに方向性も生まれてくる。こういうプロセスのなかで学びを積み重ねることのできる人生は、希望に満ちた人生なのかも知れない。
教育の外的な動機づけになる大学入試というシステムは、本来の学びに重大なゆがみをもたらすことが多いように思う。本来の学びの豊かさを見失わないで、学びを積み重ねることは皆無ではないだろうが、もしかしたらそれは奇跡に近いのかも知れない。
子どもの意欲は、小学校から中学校、高校という積み重ねの中で、放物線を描くように落ちていく。こういうイメージが頭から離れない。
デンマークは、中学2年生まで点数をつけることを禁じているという。点数で評価されない教育というものを日本では想像しがたい。しかし、外部要因によって子どもたちに奮起をうながすような教育ではなく、子どもの内発的な意欲を土台にして、教育をおこなえるというのは、ものすごいことではないだろうか。
小さい子どもは、親に、毎日、「これは何」「なぜ」という問いかけを発している。この問に真っ直ぐに答えていけば、好奇心を豊かにもった子どもが育つのではないだろうか。
そんな風になっていない日本。学びの意味がつかめない日本。
「なぜ、勉強するの?」
「いい大学に行くため」
「将来、自分のなりたい職業になるため」
そんな答えではなく、
「人間を豊かに育てるため」
こう答えられる教育を実現できれば、日本人は幸せになれる。
ぼくはそう信じている。








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