読者がいました!という嬉しい話
午後から和歌山市内で学習会があったので参加した。会場で和歌山市会議員団事務局のKさんに話しかけられた。
ぼくのBlogを読んでくれている共産党以外の議員がいるという。
この方は、ぼくが紹介した本もいくつか買って読んでいるのだという。
なんだか、半分恐縮しながら、半分嬉しくなって話を聞いた。
こういう話が、Blogをを書いていると時々生まれてくる。書いていたら面白い話があるなとつくづく思う。
九州の方と若干2人知り合いになったし、新潟の人から「朝の光の中で」という川端康成の教科書に載っていたエッセイのコピーが届いたりしたこともあった。
会える機会があれば、会ってみるのも面白いかも知れない。
人生は、色々な人に出会ってこそ豊かになる。
インターネットというツールは、全世界に開かれた文字どおり世界最大のネットワークだろう。不特定多数の人に開かれたツールは、悪意と誹謗中傷の連鎖を生み出すかも知れないが、同時に善意と喜びの連鎖も生み出す。だれが、10数年前にこのようなネットワークの成長ぶりを想像しただろうか。
27歳の時にNECの88を購入したときには、パソコン通信の話はあったが、それは夢のような世界の話で、現実味のない話だった。ぼくがしていたのは、Basicというプログラム言語で、四角形や三角形、円を描いたりそれを塗りつぶしたりする程度だった。
これでは、何も生まれないのが分かってきて、買い換えたのが中古のNEC98だった。これ以降、98互換機だったエプソンのデスクトップPC-286Uを1987年に購入し、1994年にはNECの9821シリーズを購入した。
ぼくがパソコンにさわりだした当時、各社のパソコン間には互換性がなかった。互換性を生み出したのはDOSVと呼ばれる機械だろう。これはIBMが仕様を公開したことによって生まれた新しい波だった。Windowsの世界では、各社のパソコンとの間で完全な互換性が保たれている。会社は違っても同じOSが動いているという状態があたりまえになっているが、それはIBMの仕様のオープン化の功績だろう。
この流れが、日本独自のアーキテクチャをもつNEC98シリーズを終焉させたといっていい。
互換性がない時代に、シャープにはX68000というパソコンがあり、これは8086系の98シリーズよりも優れていた。しかし、良貨が悪貨を駆逐するとは限らない。このX68000というCPUは、Macintoshが採用していたモトローラ社のCPUだった。当時のCPUとしては、シャープとMacが採用していた68000というのは、能力が高かったといえるだろう。
シャープのX68000シリーズは、1995年にX68030 HG/324という製品を出したのが最後となった。
Macは1994年にIBMとモトローラ社が共同開発したPowerPCに移行し、68系Macから脱皮をとげた。ぼくがMacに切り替えたのは1998年だった。
切り替えた唯一の理由は、パソコンによる新聞編集を自由におこないたいということだった。
切り替えたことによって夢は実現したが、それは非常にコストのかかる話でもあった。
誰でも自由に質の高い文字で新聞を編集できるようになるという流れに大きな変化を生み出したのは、MacOS10の出現だろう。アップルは、このOSの変更によって、確実にUNIXパソコンとしての歩みに入っていった。2004年には、PowerPCからインテルのCore2Duoへと切り替えて、さらなる高速化を実現し、OSも10.6へと発展させた中で、極めて使い勝手のいいパソコンを作りだした。
98系列のパソコンを使ったのが11年、Macに切り替えて使ってきたのが12年。これがぼくのパソコン歴だが、この歴史の中でインターネットの波が押し寄せてきた。それまでのパソコンは、閉じられたなかで動いていたが、インターネットの波は、確実にすべてのコンピューターをインターネット上で結びつけていった。
この波が本格化したのは、1995年以降だろう。ぼくたちは、しばらくの間、電話回線を使ってパソコン通信を行っていた。現在の光通信の前に使っていたのはADSLだった。光通信に切り替えてから、自由度は格段に高まった。
現在のパソコン活用をみると、インターネットの存在は非常に大きい。
コンピューターが、仕事の道具からコミュニケーションツールへと変化したのは、まさにインターネットの力だった。この変化が起こらなかったら、パソコンの現在のような普及はなかっただろう。
Blogを書き始めて5年が経過したが、この5年間ほぼ毎日、ぼくはBlog上で日記を書いてきた。インターネットという手段がなかったら、これだけ毎日、日記を書いてこなかっただろうと思う。
新しい出会いと交流をBlogが運んできてくれた。
個人的には、インターネットを善意を集めるツールとして活用して欲しいと思っている。匿名性があるからといって、相手の人格を執拗に攻撃するのは、いただけない。
エチケットを守ることは、仮面をかぶることではない。本音をぶつけ合って生きることがいいとは一概に言えない。相手を傷つけないで、自分の思いをきちんと伝えるということをみんなでみがいていけばいいのではないだろうか。
盗聴法が成立した結果、犯罪捜査のために警察が動けば、誹謗中傷の攻撃や犯罪予告は、確実に書き込んだ人間を特定でき、摘発できるようになっている。匿名性があるからといって、自分が守られていると考えている人は、幻想にとらわれているといっていい。
権力からの監視が当たり前のように行われる時代に入り、一方で個人情報保護だといって敏感になって、お互いがつながりあうことを避けるような傾向をみていると、国民は権力にいいように操られているのではないかと思ってしまう。
インターネット上でぼくは、本名を公開し本名で日記を書いてきた。
それは、自分の発言に責任をもって文章を書いてきたということである。もちろん、さまざまな意見が寄せられ、意見の違いもおこり、色々な対応を必要ともした。でもテキストデータを打ち込んで話を重ねてきて、よかったことの方がはるかに多かった。
インターネットを新しいコミュニケーションツールとして活用し、人間の信頼の輪が広がっていくための力にしていく。ぼくは、今後もこういうスタンスで、このBlogを書いていきたいし、Blogを通じて知り合う人とつながっていきたいと考えている。
インターネットというネットワークは、人間が生み出した最大のツールの一つだろう。良いことも悪いこともすべて、人間関係を反映してネット上には存在するけれど、この道具を人間の信頼を広げる道具として活用できるかどうかは、それぞれの人の使い方に依存している。
道具に使われてはいけない。包丁は料理にとって必要不可欠の道具だが、使い方を誤れば、人間の命を奪う凶器に転化する。道具を豊かに活用できるかどうかは、使う側の人間にかかっている。