安全保障法反対の宣伝

出来事

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朝10時、「日本の戦争する国にしない伊都橋本連絡会」の街頭宣伝のために橋本市役所に10人ぐらいが集まった。
最初の宣伝場所は橋本市の松源前。ハンドマイク3本に1本のワイヤレスマイクで音を流し、スタッフはプラスターと横断幕をもち、チラシを配りながら訴えた。
最初、ぼくがマイクを握らせてもらった。スーパーハンドマイクが3機あれば、非常によく音が通る。街行く人にもときどき反応がある。戦争法案反対の訴えは、確実に人の心をとらえるような手応えがあるように感じた。
ぼくの次にマイクを握ったのは、橋本市在住のKさんだった。女性のKさんの語り口は優しい。93歳の瀬戸内寂聴さんが車イスで訴えたことも紹介していた。

日本が戦争を行うような現実感が、地域には流れていない。ぴんとこない人も多いだろう。保守の議員でさえ「戦争なんて起こらないでしょう、あんなのはみんな極端な話だ」という声もあり、「日本の平和と安全を守るために法案は必要でしょう」と思い込んでいる人もいる。
ぼくの目の前を歩いていた男性に、女性スタッフがチラシを渡そうとすると、「ふん」という感じで受け取りを拒否した。男性は60代に見えた。

2つ目の宣伝場所は九度山の道の駅だった。
ぼくが訴えていると、道の駅の入口の向かい側に夫婦らしき2人が来て女性スタッフと話をしていた。訴えが終わると拍手をしてくれたので近寄ってみると、かつらぎ町の人だった。
「大坂から越してきました。ブログを見ています。大阪都構想にも反対だったので、あの時のFacebook、シェアさせてもらいました」
いきなりこういう話が飛び出した。
「一度お話を聞きたいと思っていたんですよ。どんな方なのかと思っていました」
「はい、いつでもぜひ」
嬉しい出会いだった。

「書を捨てて街に出よう」
なかなかいい言葉だなと実感した。

3つ目の宣伝場所は、かつらぎ町の松源前だった。
ぼくは、訴えの中で、第2次世界大戦のときに父親が中国戦線で偵察隊の任務についていたことを紹介した。戦後、酒浸りの中で軍歌しか歌わなかった父、戦争が終わっても、ずっと戦争の中にいた父、多くの人が戦争の体験を折りたたんで戦後を生きてきたことを語り、「もう二度と戦争を繰り返してはならない」という戦後の原点に対し、安倍さんが挑戦しようとしており、これに対し若者を含め国民が戦争反対に立ち上がっていることを訴えた。
男の人が出てきて、最後まで話を聞いてくれた。

来週も土曜日宣伝しようとなった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明