かつらぎ町の一般質問、当局は想定問答で答えを用意する
本日は一般質問のために自宅にこもって原稿を書く日。
昨日土山希美枝教授の連載論文を読んで、「かつらぎ町のように国会の予算質疑と同じような一問一答形式の一般質問というのは、ほとんどないのだろうな」という感想をもった。一問一答形式といっても、実際には答弁書が用意されている自治体が多く、質問は数回程度という感じだ。答弁書が用意される自治体は、当局が答弁書にこだわってしまって質問が深まらない傾向にある。そうなると質問が積み重なっていかないようだ。そもそもそれぞれの質問が長い。会話のように行ったり来たりしない傾向が強いようだ。
かつらぎ町は、議員が質問席に着いて発語するまでどういう角度から質問が始まるのかわからないので、答弁書を作ることができない。当局が用意するのは想定問答になる。ときには、非常に短いやり取りが積み重なることもある。
かつらぎ町の場合は、ケースによっては、町長が最終どのような答弁するのか、課長にもわからないことがあるようだ。町長の議会での答弁によって、思いもしない変化が生じ新しい施策につながった例もある。もちろん質問によっては綿密に打ち合わせをするケースもあるだろう。最近は、議会答弁はよかったのに具体化の段階になると「しない」という傾向がいくつか出てきた。議会答弁が軽くなっている。こういう傾向にどう立ち向かうのか、考える必要がある。
明日の一般質問は、介護保険の総合事業について、本町がどういう姿勢で臨むべきかを問いただす質問と可燃性ごみの広域処理場への持ち込みについて、改善を求める質問の2つ。原稿を書くまで文献を読む。
よく言われることなのですが、日本の場合、本当の議会制民主主義ではありません。
国会の場合、本会議場のひな壇に閣僚が座りますが、その後ろに官僚が必ず着席して勝手なことを言わないように監視します。書記官を除いて議員以外が会議場に入ることは許されないのが、欧米の議会制民主主義です。
県会でもそうです。議場に県職員の部長がひな壇に着席します。おまけに知事が一番低い前列で、その後ろの高いところに県職員が座るのです。
さすがに、町議会は見たことないので知りませんが、町職員がひな壇に座る?
もしそうなら、民主主義の原則投票で選ばれた議員を見下すように座ることになります。その上、議員でもない職員が議会で発言するのであれば、まさに議会制民主主義ではなく官僚主義です。欧米の場合、議員以外が議会で発言はおろか、議場に入ることすらできません。
で・・・・かつらぎ町は本当の議会制民主主義?もし本会議場で議員以外の人が発言するなら、その時点で議会制民主主義ではありません。官僚主義です。
小さな自治体の議会にも町職員や村の職員は座っています。ただし、地方議会の長は、住民から直接選ばれる大統領なので、長の権限は絶大です。国会は、議院内閣制で内閣は合議制なので、内閣総理大臣の権限は、首長の権限よりはるかに小さいです。
職員が座り答弁するだけで、議会制民主主義でないというのは極端ですが、日本の場合は、官僚機構が大きな役割を果たしているのは明らかです。
戦後、GHQは、日本の地方自治をアメリカと同じ仕組みにしようと考えていました。大統領としての首長がいて、議会がある。議会が全ての議案を支配して、議員が100%条例を制定し予算を組む。自治体の長は、執行機関の長として、議会には出られないというものでした。しかし、そういう形にはならず、日本の自治体の長は議会に出て、予算を組み、条例案等議案のほとんどを提出するようになりました。
従って、日本の自治体の長は、アメリカ大統領よりもはるかに大きな権限をもつようになりました。東京の豊洲への中央市場の移転問題で、石原慎太郎知事(当時)が、知らなかったというのは、あり得ない話です。結局石原氏が、深く関与していることが明らかになってきていますが、地方自治体は、首長なしに大きなことは動かない仕組みになっています。首長の意志が行政の意志になるという点では、国会とは随分違う仕組みがあるということです。
戦後作られた日本の地方自治は、首長が暴走したら、その暴走をなかなか止めることができません。これ自身は、大きな欠陥だと思います。
昔の話ですが、私の地元でゴミ収集業者から議員になった人がいます。
背中一面和彫りの刺青です。
直接話した事がありますが、その風貌のままの人でした。
私利私欲の塊で見てるだけで情けないです。
選んだ市民も情けないです。
地方ってこんなレベルなんだなーと思った事がありました。
そういう議員もいるということですね。わが町の議員は、随分真面目になりました。変な人はいなくなったと思います。