中学校という文化

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桜の花がほぼ終わりになりつつある。今年は、桜の花の期間が長かったような気がする。
新学期も始まり、娘のセーラー服姿も少し板についてきたような感じ。
小学校と中学校の文化の違いのようなものを感じている。
関心、意欲、態度が子どもたちへの評価点として、先生から率直に語られていることに驚く。
チャイムが鳴ったら席に着いておくこと、席に着いていないと態度が悪いということで、減点の対象となります。ということを何の疑問のなしに語っている教師の姿は、小学校では感じられなかったことだ。
教師に逆らったら成績にかかわるという考え方は、子どもたちから反骨精神を奪うという点では、ものすごいものだ。体制に逆らうことは許されないということを教えることに等しい。
いったい、いつから日本の教育はこういうことになったんだろう。
学問にとって、一番大事なのは批判的な精神だ、ということはくり返し書いてきた。
批判的な精神は、すべての物事を、果たしてそれが正しいかどうかという視点で見るところから始まる。
つまり、教師も、教師が教えていることも、学校の制度も、すべては、批判的な精神のもとで点検され、再確認される必要がある。それなのに、教師に対する態度が悪かったら成績にかかわるというのでは、批判的な精神が育ちようがないではないだろうか。
現在の子どもたちが、必要以上におとなしく、従順でまじめなのは、この関心、意欲、態度で評価されてきた結果ではないだろうか。
このように考えるぼくは、少し考えすぎなのだろうか。
新しい中学校の文化には、ふれ始めたばかりなので、答えはなかなか出ないし、出さない方がいいだろう。中学校の先生方と接していく中で、どういう文化が中学校を支配しているのかを見極めていきたい。
小学校とはかなり違うものが、中学校の文化の中には生息しているように感じる。まずは、異文化交流を行いたいものだ。


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Posted by 東芝 弘明