美的感覚が日本を再生する。かも。

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藤原正彦さんの話をポッドキャストで聞いた(「学問のススメ」)。日本の工業製品が世界の中でも高い品質を誇っているのは、日本人の美的感覚にあるという話に意識が集中した。
美的な感覚の中に詫び、寂びの感覚もあるという。
もみじ狩りの例をあげていた。秋の紅葉になると日本人はもみじ狩りをおこなう。イギリスにはこういう風習はないのだという。色づく葉に心が動かされないらしい。
美的な感覚は、教育によって身についていくのだという。
数学者も数学の美しさに惚れているのだともいっていた。
洗練された美しさを追求する中で、工業製品の質の高さが生まれてきたというのは、面白い話だった。
そういう点では、日本のノートパソコンが、美しさを追求せずにでこぼこしているフォルムをとりつつあることに危惧が湧いてきた。
最近のNotebookパソコンには、美的センスが感じられなくなっている。美しい工業製品を作ろうという意識がなくなって、安いパソコンを作るためにフォルムには気を使わないという傾向を感じている。
なぜ、アップルに心惹かれるのか。その理由の一つは、製品の洗練された美しさにあるのは間違いない。使っている人は、Macの美しさに心惹かれた人だろう。
それは、ハード面だけではなくOSの美しさにも貫かれている。
Safariになれてしまったあとでは、もうインターネットエクスプローラーには戻れない。
ネット上の文字の美しさが違いすぎる。
Windowsのエクスプローラーを使っているユーザーには、行間がほとんど空かないで、ギザギザ文字しか見れないという画面表示を当たり前のように受け取っている人が多い。メイリオで美しく見える部分と見えない部分が混在している。こういう表示しかできないのは、ほんとうにお粗末だと感じる。
Appleのコンピューター戦略について、古き良き時代の日本の商品販売に販売戦略が似ているように感じ、iMacやMacBook Proに日本的な製品としての美しさ(made in Americaなのにね)を感じてきたのは、それなりの根拠があった(?)。
Macは、日本の工業製品の良き伝統を受け継いでいるという錯覚を抱かせてくれる製品だということだろう。
最近のドラマには、良くMacが登場する。洗練された事務所のパソコンはMacという例が多い。ブラッディマンデイのサード・アイのパソコンは、すべてMacだったし、主人公である高木藤丸(ファルコン)が愛用していたパソコンはMacBook Proだった。
日本のNotebookが綺麗でなくなっている中で、アップルの製品の美しさがものすごく際だっている。
日本の工業が再生するためには、デザイン的にも美しい工業製品を作り込んでいくことが求められているのかも知れない。

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Posted by 東芝 弘明