ゆるやかに弧を描いて流れる紀ノ川

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知人の中には、ふるさとに帰ってきた者もいる。肉体と魂が帰る場所があるのはいいことだと思う。
原風景をもっている人が、ふるさとを離れて生活し、さまざまな体験を重ねて、もう一度ふるさとに帰ってくる。
18歳から22歳までの4年間、和歌山市内に住んでいたことがある。
ぼくにとって、和歌山市内は大きな都会だった。
住友金属の溶鉱炉が口を開けると、空があかく色づいた。そのような景色を見たことがなかったので、夕焼けのような赤い空に見とれていたこともあった。
わずか4年しか生活しなかった場所なのに、その当時、住んでいたところに足を運ぶと懐かしい感じがあふれてくる。
まして、かなりの長い年月を、よその土地でくらしていた人がかつらぎ町に帰ってくると、さまざまな思いが溢れてくるのではなかろうか。
年に何度か新城の景色に中に浸ってみたいという気持ちが起こる。新城小学校の付近の景色を見ると、母がいて、父がいて、妹と兄貴がいたころのこともよみがえってくる。
12歳までの頃のことだから、記憶はかなり遠い昔のものになってしまったというのに。
ぼくの娘は、新城のこともぼくの父や母のことも知らない。
夜中に娘の水筒を洗い、台所の壁に目をやると突然、新城の家の中の景色が思い出された。ぼくの子どもの頃とは、ものすごく違う家の中の景色。36年も前の生活が、今になかなかつながらないことが、なんだかとても不思議に思えた。
母が生きていたら、ぼくの今の生活をどんな風にみるだろうか。というようなことも浮かんできた。
兄貴も妹も、かつらぎ町から離れてすんだ時間の方が長くなった。ぼくだけがこのふるさとに残って、しかも町議会議員のようなことをしている。さまざまな出来事が重なって町議会議員になったのだけれど、この仕事に就いたので、新城にも関わることができ、いくつかのことで少しだけれど力になることもできた。
ふるさとに関われることは幸せなことなのかも知れない。
今日は激しく雨が降った。
眺めのいい場所に立って、紀ノ川を見ていた。川はゆるやかに、滑らかに弧を描いていた。時間がゆっくり流れているかのような錯覚を感じさせてくれるゆるやかな川の流れにしばらく見とれていた。
きびすを返して南の山を見ると大きな虹が出ていた。
いつの間にか雨が上がり、少し気温が上昇したような空気の中で、虹は半円を描いていた。


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Posted by 東芝 弘明