多様性のない自民党と多様性をもった野党共闘

雑感

小選挙区制の導入によって、自民党の体質が大きく変化した。小選挙区制が導入される前の自民党は、国民のさまざまな考え方を多面的に代表していた。それは、派閥によって体現されていた。例えば憲法に対する態度や憲法第9条に対する態度について、自民党の幹部の中に憲法9条を守る立場に立っていた人がかなり存在していた。憲法改正論者と憲法擁護論者が同じ政党に中で共存していた。

自民党=世間と同じというような傾向が自民党の中にあった。それは自民党の懐の深さや幅だったともいえる。しかし、小選挙区制の導入によって、1人区になり、自民党総裁を中心にして政党助成金を管理し、さらに献金を党が管理するようになって中で党の財政を握り、公認を認めるかどうかという人事を握りという仕組みが出来上がってきたので、自民党には、強力な派閥体制がなくなって、ときの自民党総裁を中心とする体制に従うようになった。安倍内閣を見ていると、安倍内閣がどんなに暴走しても、自民党内部からはこの暴走政治に逆らえない仕組みがあることを強く感じる。

小選挙区制が恐いのは、1人しか通らない選挙区で勝利するようになると、自分の選挙区の現職は自分のみ、選挙で負けた候補者は、国会議員になれないので、次の選挙まで候補者活動を続けられる人はごく少数という形になったところにある。自民党が小選挙区制で多数を占めると、野党の側の候補者はみんな傘張り浪人のようになってしまうのだ。和歌山県の1区が3議席をもっていた時代は、自民1、公明1、共産1という議席状況にあった。解散総選挙になると、和歌山1区の場合、現職3人がただちに選挙に入れる体制にあった。4人目の候補は、もう1人自民党から出て共産党の議席を落としたいというような形や社会党が候補者を立てるという形だった。

しかし、小選挙区制になると現職の代議士は、ただちに選挙活動や選挙準備に入るが、議席を持っていない野党の側は、候補者の擁立がまず課題となる。その結果、選挙のたびに候補者が変わって名前の浸透すら難しいという状況におかれる。自民党によって解散総選挙に打って出られたら、野党は選挙準備が整っていないという状況が生まれてしまう。攻めに攻めて解散総選挙に追い込むためには、候補者を決定して解散に備えるということが求められるようになった。

こういう仕組みの下で安倍1強という状況が生まれた。その一方で自民党は、極端な政策を掲げる幅のない党になり、多様な国民の声を吸収できない状況に陥った。一方力を弱体化させた野党は、小選挙区制に対抗するためにも、意見の違いを認め合いながら、一致点で共闘を組みようになった。こういう対決構図は、2大政党づくりが崩壊したあとは、いわば必然的な流れとして発展してきた。多様な意見を吸収して成り立っていた自民党が、全く幅のない歪んだ政党になる一方で、共闘を組む野党が国民の多様な意見を包摂して幅の広い国民を結集できる可能性をもつようになった。

国民一人ひとりの尊厳を大切にし、意見の違いを認め合いながら、一致点を広げていく野党の共闘は、人間の新しい可能性を示すものだ。

日本共産党は、統一戦線と呼んでいる路線を一貫して貫いてきた。連合政権という方針は、日本共産党の綱領路線に明記されたものだ。理念や意見の違いを当然の前提として押さえた上で、一致点に基づいて連立政権を組み、それを運営するという方針は、一緒に運動を行っていけば、共通点が広がるという確信の上に立っている。野党共闘は、おそらく日本共産党が考えていた以上の豊かさをもって展開している。

小選挙区制が一つの条件になって生まれた野党共闘。ここに次の政権を担う展望と希望がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明