商店街はいま 2005年1月31日(月) 

かつらぎ・発見伝

事務所で会議の準備をしているとガソリンスタンドの商売を止めたAさんがひょっこり尋ねてきました。残務処理にかなりの時間がかかるそうです。
私の横に座ったAさんは、コーヒーを飲み、テーブルを挟んで前に座っていた宮井さんといろんな話をしていました。笠田の町を見ても、年末からこちら、飲食店の廃業、電気屋さんの倒産?、ガソリンスタンドの店じまいなどの話を聞かされました。
火が消えるように町が寂しくなっていきます。その反面、チェーン店が増えてきました。このチェーン店には個人商店が店主になって経営しているところもあります。チェーン店のヤドカリ商法とでもいうべき方法です。コンビニエンスストアにこの方法が多いようです。ここ10年くらいの間に笠田にできたローソンも、大谷にできたタイムリーも、妙寺にできたローソンも店じまいしてしまいました。和光電気も破たんして撤退、ザ・シューズも撤退しました。昔からスーパーを経営していた酒屋さんも役場の前でディスカウントの酒屋さんをしていましたが、店じまいしました。

笠田の町は30年前、にぎやかな商店街でした。
スーパーが3軒あり、お肉屋さん3軒、八百屋さん、カメラやさん、赤ちゃんやさん、写真屋さん5軒、レコード店、自転車やさん2軒、散髪屋さんとパーマ屋さんは、それぞれ5〜6軒、お寿司屋さん2軒、大衆食堂、お好み焼き屋さん、たこ焼きも回転焼きもあり、薬局4軒、おもちゃ屋さん、パン屋さん、銭湯3軒、クリーニング屋さん、歯医者さん、内科医院、骨接ぎ、耳鼻科、布やボタンを売っているお店、衣料品店、タンスやさん3軒、金物屋さん、化粧品店2軒、めがね屋さん2軒、紳士服2軒、布団屋さん、呉服店3軒、御茶屋さん、履物屋さん、ケーキ屋さん、電気店、本屋さん2軒、お米やさん、新聞屋さん、喫茶店、雑貨屋さん、農機具やさん、鉄工所、花屋さんなどなど。笠田の町のなかでほとんどすべてのものがそろいました。
駅前通りも東西に伸びている大和街道もにぎやかな商店街だったのです。

多くの商店がこの笠田の商店街から移動しました。それは車社会への対応でもありましたが、確実に中心街は寂れ、その後住宅街へと次第に姿を変えています。
6月になるとこのにぎやかな商店街に夜店がでました。毎月1のつく日に露天商が駅前通りに店を出して子どもたちや大人が夜店を楽しんでいました。

住宅地図にお店を記入して、どんな町だったのかを再現してみたいと思っています。笠田の子どもたちが育った町はこんなににぎやかだったんだと今の子どもたちに伝えてみたいと思うのです。
Aさんと宮井さんの話を聞きながら、こんなことを考えていました。
夜は2夜目の合併協議会報告会。今日も100人程度の参加でした。質問者は、3人しかなく質問に対する答えも含め、9時過ぎには終了しました。
合併によってどんな町になるのかというイメージは湧かないまま、行政改革への対応が必要だという町長の答弁が繰り返されました。しかし、どのような行政改革になるのかというイメージは伝わりませんでした。


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かつらぎ・発見伝

Posted by 東芝 弘明