昔よりかつらぎ町は田舎になった

雑感

ぼくの中学生の頃の方が、かつらぎ町は都会だった。中学校の生徒数は580人を超え、高校に入学した1975年は、学級を一つ増やしてG組まであった。教室が足らずプレハブの教室が建てられていた。駅前の商店街には人が溢れていた。

笠田駅を利用する人も多く、高校生の頃はこれからも街は都市化していくと思っていた。道は昔より道路の幅員が広がり整備が進んだ。そういう意味では都市化した。しかし、誰も都市化したとは思っていない。

むしろ田舎化が進行した。商店街が消え、銀行が移転し駅前で歩いている人はいなくなった。
ぼくの家族はぼくが中学生になるときに新城から笠田の駅前に引っ越しした。都会での生活が始まると思った。

ぼくの娘は全校生徒が180人くらいの笠田中学校に入った。ぼくの中学の時の同級生よりも全校生徒数は少ない。娘は駅前が賑やかだった時代を全く知らない。時代とともに田舎度が増して、地域の活力が失われて行く。
この現象が、いったい何によって引き起こされているのか、確たることは分からない。ただし、この現象の本質に迫っている文章は存在する。それは日本共産党の綱領だろう。この綱領の分析をさらに深く追求すれば、中山間地の衰退現象の本質が見えてくる。本質の分析なしに再生の展望は開けない。

衰退に合わせて行政施策を縮小し、さらに衰退に拍車をかける和歌山県の対策は、施策という名には値しない。カジノに展望を見出すことは、最後の断末魔のようなものだ。開発への反省なしのカジノ幻想。カジノで活性化するのかと問うと『カジノだけではなくIRです。リゾートを含んでいます」というのは、もうすでに腰が引けた言い訳だ。

最早衰退にあわせて未来を描くしかない。こういう声も聞こえてきた。展望なき未来像だ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明