日本の企業とアメリカの関係

雑感

綱領の2回目の学習会が終わったとき、日本の大企業・財界がどうしてアメリカに目下の同盟者として付き従っているのかという説明が十分でなかったという指摘を受けた。
この指摘を受けてから妄想が膨らんできた。どうして日本の家電産業が目に見えて凋落したのか。世界はソフトウエアがいろいろなものに組み込まれ、それによって高度な機器管理が実現して、魔法のようなサービスが広がっているのに、国産のソフトウエアの開発環境は極めて貧困で見る影もない。コンピューターのプログラマーは、良い労働環境を与えられておらず、会社のシステムの組み立ても諸外国と比べても非常に立ち遅れている。スマートフォン関係のソフトでも国産のものはほんとに目立たない。
LINEのセキュリティが槍玉に上がったが、LINEのようなソフトを日本が開発するというような動きも見えない。

車の開発では、ヨーロッパは電気自動車にシフトしているというのに、日本はまだハイブリッド全盛で自動運転技術もそんなには進んでいないように見える。アップルのiPhoneに見られる技術を土台にしたものが自動運転には必要だと思われるが、国産企業による連携で自動運転技術が飛躍的に向上するのかどうか。心許ないのではないだろうか。

コンピューターの心臓部が、すべてアメリカの会社に依存し、国産のものが何もない状況下で日本の企業が、IOT化のなかでビジネスをリードするようなことが起こるのか。自分たちの目の前で起こっていることは、日本の多方面における技術力と組織運営の劣化ではないだろうか。

日本は、賃金を引き下げ続け、労働環境を破壊し続けてきた中で、経済が停滞している国だ。人間の技術力も優秀な人材も生産関係の中で培われる。人間を大事にしないシステムは、日本の教育のなかにすでに色濃く現れている。徹底的な評価と管理を通じて、子どもたちは、自由な人間関係を結びにくくなり、遊びの中で人間関係が豊かに育ちにくくなり、人間力、コミュニケーション力が高まらなくなっている。周りの友だちに心を開けない人間関係というのは、本当に苦しいだろう。こういう学校の仕組みと無関係に会社や社会があるわけではない。
富士通で当初成果主義が導入されたときに、告発本を読んだが、そこに描かれていた組織は、ぼくの知っている公務員の世界や地域社会の世間とほとんど変わらないものだった。同じ日本人がつくる組織なんだなというのが感想だった。

教育現場における子どもをめぐる学校組織の在り方と、今の日本の社会全体が抱えている問題は、底通しているだろうと思う。もちろん、会社経営には会社経営の特有の問題があるだろう。しかし、日本を蝕んでいるのは、同じ問題である可能性がある。

ビジネス関係の分析を読んでいると、コンプライアンスと合意形成を大切にして、トップの意向が貫けないという分析があった。本当にそういうことだろうか。読みながら違和感をもった。
そうではなくて会社組織を支配しているのは、忖度と空気ではないのかということだ。壊れてしまった世間が空気という形で会社にも存在していて、異論を唱えることをはばかられ、リスクが生じているのに問題を直視せず、解決を先送りにして、手を打たない。気がついていても忖度したり空気を読んだりして黙ってしまうということだ。
トップの意向が貫けないのではなくて、逆にトップに逆らえないなかで、問題が曖昧になっていくということだ。この問題が、会社の民主主義のなさと深く絡みついている。組織の意思決定の仕組みがそうなっていると、理不尽なことがあっても労働関係は改善されず、訴え出ても揉み消されることが多い。労働環境の中で、労基法さえ守らないような状態の下では、多くの人間の労働意欲は削ぎ落とされてしまう。経営の意思決定の仕組みの抱える問題と労働環境問題は深くつながっていると思われる。
働く人間が生産現場で主人公になれないなか、上から徹底的に管理され、成果を求められる中で、日本全体が疲弊してきている。理不尽な労働に対して、意見を言うことが許されず働かされている中で、本当に新しいことが生まれてくるのかどうか。

民主的な組織は、個人の個性や意向が生きない組織かといえばそうではない。トップは、提案する権限を持っている。誰よりも先に問題点を考え、提案できる位置にいる。この提案力を生かし、組織に豊かな改革案を提示すればいい。事なかれではなく、エッジの立った提案をおこない、そこから議論が始まって組織を改善していくことはできる。提案のあとは、民主主義が大事になる。イメージはオーケストラの指揮者と楽団員だ。トップが細部について十分理解をしていないのにトップの意向を押し付けても物事は進まない。
そうではなくて、アップルで言えば、スティーブ・ジョブズが提起したことを、どんどん具体化してそれを実現した多くの人間がいたので革命を重ねることができたのだ。トップの意思が組織の中に浸透するためには、トップの提起を受け止めるための民主的な仕組みが必要になる。個人の意欲が組織に生きる仕組みがなければ、イノベーションは起こせない。

資本とたたかう労働組合は、本当は企業の敵ではない。労働現場から上がってくる要求を実現することは、組織の活性化につながる。理不尽なことを解決できる組織であってこそ、企業は発展する。ルールのない職場で残業が野放しになって、タダ働きが横行している組織が、個人の個性を生かした仕事をするのは難しい。

とまあ、こういう問題意識をもって、産業関係の分析を行なった論文を読んでみたくなった。ネットにはほとんど役に立つような論考はないだろう。ビジネス関係の分析のいくつかを読んでみたが、表面的でマトを外しているという感じがした。
日本の企業は、戦後アメリカの目下の同盟者の役割を果たしてきた。この問題と日本企業のこの間の停滞と衰退は、新自由主義の害悪によるところが多いだろう。新自由主義は、結局は個人を徹底的に痛めつけて疲弊させてきた。恩恵を被ったのは、企業の中のごく一部の上層部だろう。しかし、格差と貧困を広げてきた新自由主義的な経済改革は、人間の組織に恨みと妬みをさらに増幅するものになっていると思われる。社会で発生していることは、会社の中でも発生している。
この上に立ってアメリカの関係と日本経済の固有の問題がどう絡みついているのか。知りたいのはここにある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明