24回大会の報告 2006年1月18日(水)

出来事

夜7時から24回党大会の報告集会があった。報告者はぼくだ。どれだけ具体的に自分の感動を伝えることができるだろう。
午前中は来客があったので、午後を報告の準備にあてた。58人の発言者の方々の発言要旨をもう一度読み返してみた。感動した発言には目頭が熱くなる。
日本共産党は、政党の中でただ一つ、国民こそが政治と経済の主人公になる未来を展望している。巨大な生産力を持った企業に対する民主的規制、国民が一致した要求で団結して、歴史上初めて国民による国民のための国民の政府を実現しようと呼びかけている。
かたや、
小さな政府を目指す勢力は、社会保障制度を破壊し、国民負担を増大させながら、その一方で軍事的には大きな政府になろうとしている。
新自由主義による経済政策は、次のような結果をもたらす。派遣労働や契約社員の増大等を原因とした不安定雇用、これによる過重労働と所得の絶対的な切り下げ、規制緩和によるセイフティーネットの破壊、競争による淘汰と再編、これを通じての資本の集中と集積。その結論としての貧富の差の増大、格差社会の実現などなど。
さらにこのような経済政策は、次のような分断まで生み出しつつある。男性と女性の対立、公務員と非公務員との対立、自営業とサラリーマンとの対立、都市と農村との格差と対立、子どもの世界における異常な競争教育などなど。
しかし、同時に財界と政界、官界の癒着構造はあらたまらない。壊された癒着はあるが、新たに形成される癒着もある。
日本における新自由主義は、大企業と金持ちには甘く、国民には冷たいものになっている。
果たして、小さな政府の先に、痛みのともなう改革の先に、国民多数の豊かな未来はあるのか。
構造改革の推進論者よ。あなた方は10年後の日本をどのように描いているのか。
米軍再編と自衛隊の支配への組み込みと、憲法改正。この未来に用意されるのは、アメリカが引き起こす戦争への自衛隊参戦ではあるまいか。この方向に国民の平和と安全はあるのか。
政治は、かつて未来を語っていた。「日本列島改造論」しかり。「所得倍増計画」しかり。中曽根内閣の「戦後政治の総決算」になると物騒なイメージが重なってきたが、中曽根さん自身は、「教育改革をおこなえば、お座敷を綺麗にして立派な憲法を安置できる」といっていた。ここにはまだ彼らなりの、歪んでいるとはいえ展望があった。
保守政治は様変わりした。
小泉構造改革は、未来への展望を何も語らない。
国民向けに夢も展望も語れなくなっているといってもいいだろう。
日本共産党は、こういう未来のない路線に対し、根本的な転換を対置し未来を語る。
この未来は、国民の希望に重なりうる。
今日は、こういう思いも少し語った。
みんなの力で、このゆがんだ日本を変えよう。ものの道理がとおり、人間が信頼しあえる社会を、日本国憲法を最高法規として、それを社会の規範として生かし、守り一緒に人間を大切にする日本をつくろう。
これがぼくのいいたいことの一つである。


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出来事

Posted by 東芝 弘明