権利と義務 2006年5月11日(木)

雑感

今日も集金先でいろいろな話になった。
1つは、排水路の改善要望で写真を預かった。
道の下を横断している土管が小さく、大雨が降ると水を飲み込めずにあふれ、道が川のようになって困っているという話だった。
権利と義務についてはこんな話をした(以下は共産党の政策ではありません。ぼくが個人的に考えていることです)。
権利がコインの表である場合、その裏には義務があるのではない。
権利と義務は、コインの裏と表のように1つの対をなしていない。
中には、権利と義務がコインの裏表のように対になっているものもあるだろう。
権利がコインの表ならば、その裏にあるのは、相互尊重だと思う。
私の権利を認めるならば、あなたの権利、自分以外の人の権利も同じように認める必要がある。
権利と権利が拮抗したとき、それを調整するのは、「公共の福祉に反しないかぎり」という考え方だろう。
ここには自分を大切にするということとともに、相手を大切にするという考え方が貫かれている。
戦前、日本国民のモラルの根底には、教育勅語が横たわっていた。これは、絶対主義的天皇制を頂点として、国を1つの家、天皇をその家の家長に見立て、国も家庭も同じ原則に貫かれているとしたものだ。このモラルは、国民には強制力をもって、教育を通じて上から教え込んだものだった。しかも、このモラルを根底から支えたのは、現人神という絶対者に対する崇拝だった。
「万世一系の天皇これを統治す」という教えは、神話を事実として教えるというように、個人崇拝の絶対主義的な国家体制を維持するための支配の思想だった。天皇が神であったという規定は、北朝鮮の領袖論と同じようなものだろう。
この大日本帝国は、長い15年戦争の果てに侵略の野望を打ち砕かれ敗北した。
現人神を頂点とした、国民を洗脳した大日本帝国という幻想と狂気の体制は、当然否定されなければならない運命にあった。
日本の敗北は、第2次世界大戦という巨大な世界史の流れの中で起こった歴史の一大変革だった。戦前の国家体制と国家思想の否定として生まれたのが自由と民主主義(国民主権と国家主権、議会制民主主義と地方自治)、基本的人権の尊重、平和主義(恒久平和)の憲法体制だった。
戦後、教育勅語に替わるモラルとして、日本国憲法の基本的人権思想と平和主義の思想が据えられ、戦争が終結してから1年と約3か月が経過した1946年11月3日、日本国憲法が公布された。
当時、日本はまだ焦土の苦しみの中に置かれていた。戦争の傷跡は深く、当然のことながら、戦争終結まで生きていた教育勅語が体現していたモラルは、1年3か月後、憲法が公布されても消え去ることはなかった。
古い考えが根深く残る中で、新しい基本的人権の思想は、民主主義を求める運動と空気と相まって、大きな勢いで広がった。
しかし、国民全体に浸透させるには、大きな努力が必要だった。
だからこそ、教育基本法は次のように書いたのだ。

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」


しかし、時間が経過するにつけて、不幸なことに、この教育基本法は守られず、基本的人権や教育基本法の原則は、踏みにじられ、人権の擁護や学習、人権の相互尊重という戦後の新しいモラルは、次第に競争至上主義というモラルの席捲によって片隅に追いやられてしまった。
市場原理主義と競争至上主義の先に実を結んだ花は、自己偏愛主義とでもよべるようなものだった。自分の権利は強烈に主張するが、相手の権利は踏みにじり、ときには相手の命さえ簡単に否定する。この傾向の原因のすべてを教育に帰結させるわけにはいかない。政治・経済・社会・教育制度のさまざまな分野に貫かれていった新自由主義が複合的に生み出したものだと思う。
教育についていえるのは、自己偏愛主義の傾向は、戦後民主主義や教育基本法が生み出した弊害ではないということだ。戦後民主主義や教育基本法の対極に自己偏愛主義は立っている。憲法や教育基本法の理念にもとづく努力こそ、自己偏愛主義を克服する道だと思う。
自己偏愛主義の克服のために必要な哲学は、愛国心を教え込むことを含めた、教育勅語のいいところを復活させるということでは断じてない。復古主義的な哲学に郷愁を感じ、それを社会の中心に据えるという考え方は、政治体制や社会体制への批判を許さず、自由と民主主義を否定することを中心に据えることにしかならない。
有事法制を確立し、教育基本法に愛国心を盛り込み、教育の国家統制をあからさまにうたい、共謀罪を当然のこととして求め、国家権力による基本的人権の制限もあり得るとした憲法の導入を求めていくものとこの古い哲学は結びつかざるをえない。
憲法公布60年。憲法の理想の実現を拒否し続けてきた政治の中枢とこの憲法を拠り所にして闘ってきた国民とのせめぎ合いの中に今日の到達点がある。
国民の中に厳然と存在し、育成し発展させてきた自由と民主主義は今、憲法9条を守れという大河になりつつある。
憲法の基本的人権の規定は、国民の中に培っていくべきモラルになりうる。教育勅語にかわる哲学の基本は、世界史の流れの中で生まれた憲法にある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明