木漏れ日

出来事

兄と2人で墓掃除に行った。高野山はわりとひっそりしていた。秋の気配がする。ワインディング道路を走っていると木漏れ日が道路に注がれ木々が風に揺れる。光がさまざまな形に揺れる。墓は山の中にある。坂道を登ってきた兄貴の息は乱れていた。線香に火を着け、ろうそくを灯してお墓に水をかける。手を合わせる。母に向かって元気にしていると報告する。死んだ母と死んだ父が生きていたらと年齢を数えてみる。もしも健康に生きた人生が2人に与えられていたとしても、もう他界していておかしくない時間が経った。戦争によって翻弄された2人の戦後の結婚は人よりも遅かった。ぼくはまだ60をほんの少し超えた地点にいるが、墓の中の母もとうに90歳を超え、父は100歳を超えるようになった。

父と母の若い時代に戦争があって苦労したというようなものではない。戦争は、多くの人々の個々の人生に拭いがたい傷跡を残してきた。戦争の傷跡を深く刻んで戦後を生きた父は、戦後も戦争の呪縛から逃れられず、軍歌しか歌わないような父になって、浴びるように酒を飲んで死んでいった。母は、許嫁を戦争が終わる直前になくし、戦後の混乱期の中で深い傷を負って、結婚しないまま、山奥の学校で教員生活を送っていた。2人の出会いは、幸せな出会いだったのかどうか。そんなことを思わせる2人だった。

高野山からの帰り例のごとく焼き餅を買って、自宅に着いたので娘と兄貴とぼくとで中華料理を食べにいった。昼から電気工事がやってきいて、娘のテレビを設置した。


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出来事

Posted by 東芝 弘明