通夜に参列した

雑感

議会の業務継続計画(BCP)を立ることになっているので、委員会が開催された。
12月までに作成して、翌年1月に全員協議会にかけ、来年の3月までに仕上げようということになった。まずはかつらぎ町の防災計画を学ぶところから始めようとなった。また議会BCPと関係の深い地震災害について学ぶために益城町に視察に行くことも決まった。
終わった後は、6月会議の打ち合わせと、相談事の打ち合わせ。これでお昼を過ぎた。昼食をとってから日曜版の郵送のために郵便局に行って橋本市の阪本事務所に行った。昼下がり。眠たくなった。駐車場に車を停めて5分ほどうたた寝をしていると電話が鳴った。電話の相手は九度山町の伊丹議員だった。

夕方、お通夜のために自宅に戻って喪服に着替えてお通夜に行った。5分ほど開式に遅れた。ここ数日、多くの人が亡くなり、さまざまな思いが去来した。関わりのある人の死が悲しい思いを引き起こした。突然亡くなったと思われることが2つも重なった。60を過ぎて周りの人間関係の中に人の死が徐々に広がりを見せてきた。僕たちの親の世代が亡くなる年齢になりつつある。コロナのこともあって通夜や告別式の形が圧倒的に家族葬になり、参列にも制限がかかって寂しい感じの式が増えてきた。次第に葬儀はパーソナルなものになりつつある。

僕は、死を取り仕切ってきた葬儀を、悲しみに対する緩衝材だと感じてきた。最も死に近い親族の悲しみを和らげるために、世間が用意した悲しみに直接向き合わせてくれない仕組み。この仕組みによって人々は悲しみを紛らわせて、その後訪れる深い悲しみと寂しさを和らげてくれる力をもつのだと理解してきた。悲しくもない人々が、人間関係を保つために通夜や告別式にやってきて、式典の形を作ってくれるのにも深い意味があり、それも悲しみの衝撃を和らげる力になってきたと思っている。しかし、最近の家族葬は、深く悲しみと嫌でも向き合わされるものになっているのではないかと思う。
この考え方は、母の死から得たものだった。17歳で母と別れたときに世間というものをどこかで悲壮的に捉えていた僕に対し、世間という仕組みはいいものだよ、ということを最初に教えてくれたのが母の葬儀だった。
ひっそりとした通夜と告別式をした人々は、どうやって悲しみの緩衝材を見つけるのか。そんなことを漠然と考えた。

大丈夫なんだろうか。そんな思いが糸のように尾を引いている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明