パワハラが生まれる土壌

雑感

全県の共産党議員団の学習会があった。ジェンダー平等、ハラスメントについての意見交換がおこなわれた。これは楽しい議論だった。ハラスメント防止の学習会は、どのような団体であってもするべきだと思う。

以下はぼくの感想(会議で議論になったものではない)
感情的になって発言する場合、パワーハラスメントを引き起こす可能性をもっている。感情的にならないだけでなく、相手に対して、人格攻撃をおこなわないようにするにはどうすればいいのかという考え方と行動の仕方を教えてほしい。
考えなければならないのは人格攻撃の問題。安倍さんへの民主的な運動をしている人々からの人格攻撃もひどかったと思われる。ヒットラーに例えた映像などもその一つ。権力者には人格攻撃が許されるというのは違うだろう。
とにかく人間は自分の人格を否定されたときに、一番腹が立ち、それが引き金になって暴言へとつながることがある。そうならないためには、相手の人格を否定するような発言をしない「訓練」が必要になる。
これはまさに「訓練」の問題。
日本の文化には、強い傾向として、誰が発言したかが大きな意味をもっている。
「発言は人にまとわりつく」。
同じ発言内容でも、影響力の少ない人が発言するとスルーされるのに、発言力の強い人が発言すると、会議の空気が凍り付くことがある。日本の文化には、発言と人間性が一体のものとして捉える傾向がある。
このことを知った上で、発言は言論の問題であって、人間性と結びつけない努力をおこなう必要がある。
会議で個人責任を追及していくと日本では容易に人間性への批判となり、人間性の否定へと向かう傾向にある。
「だからお前は駄目なんだよ」
というやつ。こういう文化が広くあるから仕方がない。日本人はこういう文化からはなかなか逃れられない。
発言力の強い、統率者の傾向が強い人が、好ましくない発言をすると、それだけで会議の空気が重くなり、発言がしにくくなる。誰が発言しても発言しやすい雰囲気をつくりながら、もし会議で人格攻撃が発生したら、その場で解決するようにしないと「遺恨」が残る。会議によって、よりよい集団や人間関係ができるが、会議によって同時に人間関係が壊れることも多い。

発言を人間性と結びつけない努力を行いつつ、考え方や行動をフランクに変えることが可能になるような努力が必要。発言が人間性とくっ付いていると、同じ会議で行った発言を変更することが難しくなる。
会議が他人の脳みそを借りて議論しあうようになれば、行きつ戻りつとかA案やB案、C案などが錯綜して多面的な検討に入ることができる。その際自分の発言が否定されてもさほど気にならないようになり、ブレーンストーミング状態へと移行できる。ブレーンストーミングが成立する条件として、相手の意見を一切批判しないことをルールにしているのは、批判の多くが人間性にまとわりつくからだろう。さまざまな角度から縦横無尽に物事を検討して、一つの結論にたどり着くためには、「お前、さっきこういったやないか」ということから自由になる必要がある。

パワハラは、多くの組織で起こりうる。セクハラよりもパワハラの方が多いかも知れない。相手の発言をより強い発言で否定するときにパワハラになる可能性がある。パワハラの根底にジェンダー問題が潜んでいる場合も多い。対等平等の関係でない場合、パワハラが生まれる可能性がある。そういうことを心の中にもって、さまざまな組織と向き合いたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明