肯定的否定(20歳の頃に作った造語)

雑感

駐日デンマーク大使館のX(Twitter)への投稿に次のようなものがあった。
「🇩🇰(デンマーク)では残業はほとんどありません。残業に対する補償は、金銭ではなく時間で行ってもよい点が日本と異なり、例えば残業時間の1.5倍の時間を休暇として取得することが可能です🕓つまり2時間残業したら、別の日の労働時間を3時間短くするといった感じ。」

杉山和彦さんのデンマークについてのFacebookにはこういうものがあった。

日本と同じ資本主義のデンマークで実現していることは、日本から見ると別世界のように見える。日本にもいいところがある。いいところを伸ばしていけば、みんな幸せになる。というのは違う。

科学を発展させるためには、事実の探究とともに批判的な精神が決定的に重要な意味をもつ。この科学的な精神は社会科学も同じ。日本社会の制度や構造を深く理解しつつ、批判的な精神でもって、社会の在り方を変えることなしに、デンマークのような国にはならない。
弁証法のものの見方の根本的精神の一つは、「現存するものの肯定的理解」。これが欠かせない。しかし、同時に「同時にその否定、その必然的没落の理解を含み」というものの見方が、もう一つの弁証法の根本的な精神。この2つの相反するように見える見方は、現実に客観的に存在する「一つの物の中にある相反する二つの傾向」というものの存在の仕方の本質に接近していく見方になる。「肯定的否定」。これはぼくが20歳のときに作った造語。科学は、先人たちの研究を学びつつ、その成果を身につけながら、それらの知識や経験を活かしながら物事を捉え考えつつ、同時に徹底的な批判的精神をもつことが必要になる。徹底的に批判的精神がなければ、ブレイクスルーは生まれず科学の進歩はない。「肯定的否定」。この者の見方は、すべての科学の根本的な精神である。

日本社会を発展させるためには、日本社会の良さを深く捉えつつ、同時に根本的に批判的視点で日本社会を捉え、どのように変革すれば、デンマークのような国になるのかという視点が必要になる。

政治は、人間の幸福の条件を整えるところに使命がある。日本国が国民主権に貫かれる国に変わり、政治が幸福の条件を整えるために動き始めれば、労働時間の短縮が実現し、労働者の休暇についても、根本的な転換が図られる。この部分で大きく変化すれば、日本社会はデンマークのように変貌していくだろう。ぼくはそう思う。カギを握っているのは、労働時間の短縮にある。長時間労働の現実を変えないと日本社会は発展しない。社会問題の根源には労働時間の問題がある。

デンマークのこの書き込みを見たときに一番感じたのは、日本人の幸福は、厳しい生活環境の下で「ほんのささやかな喜び」を見つけて、「幸せだ」と感じているようなものだと思った。人間は、過酷な環境の下でも何らかの喜びを感じる力がある。もちろん、その下で押しつぶされている人生はたくさんある。日本人は、過酷な環境課でも生きる喜びを見つけて「幸福」を感じている人が多いのではないだろうか。日本人の幸福感にこういう感覚はないだろうか。

デンマークの人々は、日本よりもはるかに幅の広い、幸福を実現する条件の下で生きていそうだと思う。デンマークでは、人々の喜びが日常の生活の中にあり、その中で自分のやりたい目標を見つけて、楽しく生きることができそうだ。日本が細い帯の上を歩いたり、全力疾走したりして生きているとすれば、デンマークは、幅1キロメートルぐらいの道を、歩いたり走ったり、休憩したりして生きているような感じがする。人間を幸福にする条件が全く違う。
「人間として楽しく生きていいよ」──これがデンマーク
「日本社会は競争社会だから、字をもっと早くかけるようにしてください」──小学校2年生のとき、家庭訪問でうちの娘に対し担任の先生がいった言葉。──これが日本?

デンマークをモデルにしようとは思わない。日本がよい社会に発展すれば、デンマークとはまた違う社会になる。それはかなり自明のことだろう。
日本の社会の仕組みが、国民主権に貫かれ、税金が国民のために使われ、一人一人の人生の時間の自由が、かなり幅広く国民に与えられているように変われば、未来は明るくなる。政治に関わっている自分は、こういう夢をもって政治を変えたいと思う。

デンマークは1日にしてならず。
デンマークのような幸福の条件の整った国になるためには、肯定的理解とともに根本的な批判的精神がまず必要になる。変えるべき問題点は直視しなければならない。そこから目をそらすことは許されない。
相手の力がどれだけ大きくても。利害関係でいえば、日本社会の根本的な問題の原因は、アメリカの支配とともに、あまりにも大企業中心の政治になっている点にある。
アメリカとの関係だけ書いておきたい。
日米安保条約。この日本社会の根本に座っている仕組みが、本当に日本の幸福の条件としてふさわしいのか。日本社会の在り方を考えるときに、日米安保条約が与えている影響を外すことはできない。この仕組みによって戦争に日本が巻き込まれる可能性が高まっている。アメリカは日本に超軍拡を押しつけている。これらの問題から目をそらすと、社会を発展させる道は見えなくなる。変えるべき点を変えなければ、国民主権の未来は開けない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明