緩やかで穏やかな社会から生まれる人間的な考え方
8時間働いて普通に暮らせる社会を実現するということは、賃金を大幅にアップすることも含まれる。そこからさらに労働時間を短くする社会に向かえば、日本もいい社会に変わると思う。穏やかに緩やかに、自由を味わいながら暮らす。周りの人々との気持ちのいい交流がある。こうい社会になってほしいと願っている。
フィンランドのことは、本の2、3冊、本を読んだだけで知らないことは多い。デンマークとなるとさらに知らない。デンマークで生まれたノーマライゼーションの考え方や取り組み、フィンランドで生まれたオープンダイアローグの取り組みは、そういうものを生み出した社会構造があると思う。幸福の条件を整える中で生まれてくる新たな取り組み。ここには大きな魅力がある。人口の少ない国が、全世界にヒューマンなインパクトを与えている。
日本のように新自由主義的な経済政策の下で格差と貧困を広げてきたなかでは、歪みが大きすぎて、それらのものを受け入れる土壌が十分に育っていないとも感じる。競争こそがすべてだと思い込まされ、資本主義の搾取を前提とした資本蓄積が最大の動機となっているような国、日本。
この国は、大企業中心の経済政策が採用され、法人税の引き下げと消費税の増税がセットで推進されてきた。企業に対する減税によって、企業からの税収が下がり、その穴埋めを消費税の増税がカバーしてきた。その結果、日本の税収は上がらなかった。変わったのは、大企業の売上高は30年間で16%シカ伸びなかったのに、当期純利益は11倍に増え史上最高となり、昨年の12月の発表では、内部留保が530兆円を超えたこと、もう一つは、庶民への大増税と社会保障負担が増えたことにある。企業への減税を庶民への増税でまかなうことが行われつつ、さらに賃金の引き下げがずっと続いてきた結果、日本は経済的な衰退を続けるようになった。
国民の幸福度を上げるためには、生活が豊かにおくれる賃金と労働時間の短縮が必要である。この根本的な土台に向かう中で、新しいものが生まれてくる。2021年の幸福度ランキングでフィンランドが1位、デンマークが2位となっている。デンマークは1960年は460万人を下回っていたが、2022年は590万人を超えている。フィンランドも1960年は490万人だったが、2023年には554万人になっている。デンマークは出生率も増加傾向にある。
デンマークは60年代半ばごろから少子化現 象が急速に進み、83年の合計特殊出生率はデ ンマーク史上最低の1.38まで落ち込んだ。し かしその後は大変緩やかではあるが、出生率 は年々徐々に回復し、95年には1.81を示した。 その後3年間は多少、低下傾向がみられたが、 長期的には20年あたりから再度上昇の兆し が見え始め、2015年には1.85~1.90のレベル に達し、その後しばらく安定期に入るだろう という予測が9年7月にデンマーク統計局か ら 出 さ れ て い る (出 所 : Befolkning ogvalg,DanmarksStatistik,19:I この論文は レポート4 少子化現象に歯止め (デンマーク) コペンハーゲン事務所(ジェトロ)から引用)
国民の生活が豊かになり、緩やかに穏やかに過ごせる社会になってこそ生まれてくるものがある。日本のように、働き方によって、地域生活が壊れるほどになっている社会で、地域間競争によって生き残るような施策を探究しても、よりよい社会はできない。第一次産業を破壊するような国に未来はない。田舎の衰退は第一次産業の衰退と深くリンクしている。日本の食料は、日本の国内で生産するという、極めてシンプルなことが国是に座らない国にぼくたちは生きている。
教育の現場も悲惨なことになっている。若い教師は、教師として成長できずもがき苦しんだり、早くに職場から離れる人もいる。学校の教師になった娘は、「今の教員生活を送りながら家庭を持つなんて考えられない。家事の負担はできない」という。いったい、こんな社会にどうしてなっているの?といいたくなるような現実がある。
自治体は日々生まれている社会の軋轢を受けた諸問題に悪戦苦闘している。家庭教育支援や子育て支援、虐待防止、不登校支援など負の連鎖の中にある深刻な問題にも向き合って支援の手を伸ばしているが、そこに渦巻いている矛盾の根源には、社会の仕組みがある。笠田中学校の卒業式に行くと、式を欠席した生徒が13%、卒業生のメッセージの欄に言葉を寄せていない子が3人いた。これらの子どもの中に不登校の子がいるかも知れない。
不登校の原因は様々。学校だけが不登校の要因ではない。しかし、国の統計でいえば、10代の死亡率の最大の原因が自殺であり、学業不振がその最大の理由だという現実もある。
政治が幸せの条件を整えられていない現実がある。学校が子どもたちの楽しい居場所になり、遊びながら学べる環境を整えることが本来の仕事なのに、先生が打ち出す矢印はものすごく太いもので、その矢印の太さに子どもたちは苦しんでいるように見える。同時にこの矢印の太さは、学校現場だけでは抱えきれず、少子化がどんどん進み、子どもの人数が減っているのに、公立の中学校の先生や高校の先生が塾の必要性を語ることも多い。
日本は子どもの権利条約を批准している国なので、子どもの権利がどうなっているのか、国連の子どもの権利委員会が定期的に調査を行い勧告する仕組みがある。国連の子どもの権利委員会の勧告に耳を傾ける必要がある。日本弁護士会がまとめた文書から引用したい。
「過度に競争的な システムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するための措置の強化を求めました。どのように競争的かについては,第 1 回審査では “highly(大いに)”, 第 2 回は “excessively(非常に)”,第3回はこれらに加えて “extremely(極めて)” と表現が強められていましたが,今回も “overly(過度に)” に競争的な学校システ ムが限度を超えて学校環境をストレスフルなものにしているとの認識が示されてい ます。」(国連から見た日本の子どもの権利状況 国連子どもの権利委員会第4回・第5回政府報告書審査に基づく同委員会の総括所見(2019.3)を受けて 日本弁護士会子どもの権利委員会)
8時間働いて普通に暮らせる社会を切望している。この課題は、夢物語ではなく日本の現行の法律を下にすれば実現できる。それを実現するかしないか。それは国政の改革と直結している。