お墓参りを中止した

雑感,出来事

笠田の駅で6時56分に兄貴と妹を迎えて、橋本市の三石台の従姉を訪ねた。お彼岸なので高野山にお墓掃除に行く予定だったが、橋本市に向かうと冷たい雨が降り、山の方は雪で白くなっていた。高野山は雪が降っているという。

ノーマルタイヤなので高野山へのお墓掃除は中止して、岩出のイタリアンで、妹の娘と子どもたちとも合流し、わが家の娘も呼んでにぎやかな昼食会を行うことにした。総勢9人。3人用のシェアランチを食べ、充実しているドリンクバーをみんなで満喫した。娘は従姉のNちゃんに会って話ができるのが嬉しくて、夢中になって話をしていた。

長い昼食が終わり、自宅に帰ると4時を過ぎていた。
人間の人生は、山を登り、やがて山を下りていくように続いていく。周りの人々にも同じだけの時間が流れ、その時間の流れの中に、人間の体を形成している生物としての変化が表れていく。山を登っていく子どもたちと下っていく大人たち。この変化の中に人々の喜怒哀楽が刻まれていく。思っていたよりも人生の短さを感じる。老いていくというのとは、多くの悲しみを味わいながらそれを受け入れていく道でもある。下り坂のなかにも多くの喜びがある。生活の中にある多くの喜びのなかに入ってくる悲しみを受け止めながら歩いて行く道。それが人生なのかも知れない。

1970年代の子どもの頃、2024年というような50年以上先の遠い未来を考えても、具体的な映像を結ぶことはできなかった。ぼくたちの子ども時代から考えると、資本主義が生み出した文明の機器は大きく変化した。1970年代の映像を再生するためには、大きな努力が必要になっている。身の回りにあった建物でさえ激しい変化の中にある。

本当は、人間にとって何が大切なのかという澄み切った議論が必要なのだと思うが、大人が打ち出しているメッセージは、より激しい変化についていこうと叱咤激励するものであり、戦後積み重ねてきた、急ぎすぎている文明への考察が乏しい。
エコノミックアニマルと言う言葉で呼ばれた日本は、日本社会全体の激しい凋落の中で、何の反省もなしに下り坂を全力疾走で走っているように感じる。もちろん、凋落を克服しようというスローガンは下ろさずに。ただ人口減少にあわせ縮小せよという圧力を忘れず、崩壊への道を加速しているようにさえ感じる。

戦後79年。国民が住民運動の中で紡ぎしてきたたたかいのなかには、価値のあるものが多かった。それはジェンダー平等という考え方に結実しつつあるともいえる。人間の社会は、生物学的な男性と女性によって成り立っている。ようやくこの根本的な問題に人類が向き合い始め、男性と女性を対等の関係の中において再構築する努力が始まっている。同時に性的指向や性自認に対してもフラットな見方が生み出されて、自分のままでいいというメッセージが受け止められる動きが起こっている。この男女をめぐるものの見方考え方の根本的な変革は、ぼくたちが思っている以上に、人間社会の根本問題だと感じる。

21世紀の最大の課題は、あらゆる戦争を禁止することだろう。そのためには集団的自衛権を認めないという方向にまで進む必要がある。このことを実現しないと人類は武力を手放すことはできないと思われる。憲法9条をもっている日本が、この悪しき集団的自衛権の行使を認めたことは、すごく大きな変化だった。集団的自衛権の行使容認は、戦前の亡霊を蘇らせるものだった。

武器輸出解禁、敵基地攻撃能力。こういう方向が打ち出せるようになったのは、すべて集団的自衛権行使容認に原因がある。野党が、安保法制を廃止しようと呼びかけ、団結した意義は、日本社会にとっては、極めて大きな決断だった。それほど価値の大きい一致点だった。この原点を大事にして、野党共闘を再生できるかどうか。戦争か平和かの分岐点は、野党共闘の再生にかかっている。

自民党の劣化が激しい。どこを切り取っても腐敗の匂いがするほど、腐ってしまった政権政党は、もう政権の座から降りるしかないところまで腐敗が進んでいる。でもこの腐った匂いのする政権政党に対し、支持している人々はまだ、だんまりを決め込んでいるのではないだろうか。臭い匂いのする袋を開けるのが嫌で、目を背けて部屋の真ん中に置いている状態。もしかしたら、応援する側にも腐敗が進行していて、口を紡ぐしかないのかも知れない。

未来は本当は明るいと思っている。
日本国憲法の原則を守ること、ジェンダー平等を実現すること、日本の歪んだ政治と経済を国民主権という原則の下に戻すこと。これが実現すれば、深刻な下り坂社会を、緩やかな発展の軌道に戻すことはできると思っている。緩やかな発展の社会は、残業のない、第一次産業の豊かな社会になる。人々は、仕事への情熱とともに、家族や周りの人々と人生を楽しむようになり、生きる価値はもっと多面的に花開く。それは田舎が都会にならないまま、田舎の良さを保持しながら元気になる道だろう。
国民の時間を奪ってきた時間泥棒が姿を消して、国民は自分の人生の時間を生きるようになる。この道は、国民が紡いできた戦後の民主主義を土台とした社会になる。日本国憲法を忌み嫌ってきた政治勢力の退場が、新しい発展の道を開く。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明