深い取材をおこなうために

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沢木耕太郎さんの話をポッドキャストで聞いていると、取材について語っていた。その中に、ノンフィクションを書くとき、取材対象の方に対して1年つき合ってから取材をしたという話があった。
取材対象をまず肯定的に理解するところから取材が始まるという話もあった。
相手からどれだけ深く話を引き出すか。取材はこの点が大事だと思う。初対面の方に対して、肩肘張らずに、緊張しないで本音で話が出来る人はそんなにいないだろう。
人は、無意識のうちに、この人にはこういう話、この人にはこういう話というように話す内容が変わってくる。
同じ人物に同じテーマで取材をしても、取材の深さが変わってくる。
例えば、取材する側が農業の専門家だった場合、農家の取材をすると、取材対象に深い問いを発することが出来る。
質問が深い場合、考えが及んでいないところに質問が飛んでくることがある。取材の対象になっている方が、その質問に答える中で考えがまとまったり、新たな発見をしたりすると、会話がかなり深いレベルで発展していく。
こういう取材は、お互いに充実した時間となる。
どれだけ深い問いを発することが出来るか。それは、どれだけ深く取材対象を知っているかどうかに関わる。
沢木耕太郎さんが、取材をするためにその方と1年つき合ったという話は、こういう考え方と結びついているのだと思う。
肯定的に理解するところから取材が始まるという話も面白い。会話は共感によって深まっていく。敵対的な討論や口論は、なかなか相手の深い認識に入っていけない。
人は、他人のことはよく分かるが、自分のことが一番よく分からない。自分のことを客観的には見れないので、自分の思考の特徴やくせにもなかなか気がつかない。相手を肯定的に理解していくと、相手のことが自然とよく分かってくる。
取材の中でおこなわれる質問は、取材相手に多くの発見をもたらす。
ぼくも、対象を深く理解することを心がけたいと思う。本を読む場合にもまず必要なのは、肯定的な理解だと思う。批判は、肯定的に理解したあとでにじみ出てくるのがいい。
昨日書いたぼくの文章は、そういう意味では、薄っぺらなものだと思う。
新聞記事のみへのコメントなので、相手を深く理解してはいない。
相手のことをよく知らないで批判をする場合、相手の世界を深くは知らないということを念頭において文章を書くことを忘れたくない。
相手の人格に及ぶような批判の仕方はしないようにしたい。人格否定的な批判は、相手の存在そのものを否定することにつながっていく。相手の存在を否定する権利はない。論理を批判したり行為を批判したりはするが、人格は否定しないという節度は守りたい。
これはかなり重要なことだと思う。


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Posted by 東芝 弘明