TPP参加反対
午前10時からTPP参加反対の街頭宣伝に出発した。九度山町、かつらぎ町を2時間回った。 ハンドマイクの音量が小さかったので、なかなか気分が乗らない。 スピーカーのボリュームを上げるとハウリングがおこるので、小さな音で街頭演説をおこなった。
TPPに対して、賛成の方々が増えている。
テレビの描き方が、参加を前提とした議論に移行しつつあり、メリットとデメリットを相対的な問題として扱い始めているところに原因がある。
民報のテレビ局は、それ自身が巨大な企業であり、スポンサーの多くも巨大な企業である。日本経団連がTPP参加推進の旗を振っている状況下で、企業をスポンサーにしたテレビ局に公平な論点を期待するのはばかげていることなのかも知れない。
社団法人、日本民間放送連盟という機構があり、ここにはという原則がある。
よく引用されるのは、「放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。」という規定だ。
TPPは、明らかに意見が対立している問題だ。超党派で反対集会も開かれ、JA全中は、11,668,809名に及ぶ署名を国会に提出している。この署名の規模は国民の1割近くに及ぶものだ。ものすごい規模の署名だと思う。しかし、昨日の夕方、テレビを見ていると、コメンテーターが、「TPPに参加し、関税ゼロにどう対応していくかが大事だ」と話を締めくくっていた。このような報道の仕方は、TPP問題の扱いとしては、全くバランスを欠いている。
ジャーナリストは、国民の側に立って真実を明らかにする使命がある。そのためには、権力を監視するという姿勢が必要になる。
しかし、新聞は社説にTPP参加は必要だという論説を書き、テレビは推進であるかのような番組の編成をおこなっている。政府が、どうして遮二無二TPPを推進するのかをえぐるとともに、なぜ多数の政党や国民が反対しているのかをえぐり、では真実はどこにあるのかを指し示すのが、ジャーナリストの役割だろう。
こういう態度を取っている組織は少ない。ジャーナリストの名にふさわしい人は、かなり存在している。しかし、こういう人はほとんどテレビに登場しない。
今日の演説では、今まさに問われているのはTPP参加の是非だという訴えをおこなった。参加は必要だというような論調は、おかしいという話もさせていただいた。
是非が問われていると言うことは、国民1人1人が情報を得て、是非を判断しようということにも繋がってくる。
日本の農業の自給率は39%ある。農水省は、TPPが導入されたら自給率は13%に落ち込むという試算を明らかにしている。
「関税がゼロになっても、いい農産物を作れば生き残っていける」という農家の方もいる。
しかし、考えてみるべきではないだろうか。
オレンジの輸入がおこなわれた結果、紀北地方のみかんは過剰になって、みかんの木を切り倒したのは、この20年間の間でおこったことではなかったか。この歴史から何を学ぶべきなのか。
関税がゼロになると農産物がさらに日本に入ってくるといういい方には、違和感を感じている。このいい方には、人間や組織の介在がない。
関税がゼロになったら、この制度を利用して農産物を大量に日本に持ち込もうとする外国資本と、それと提携して、農産物を大量に受け入れて販売する日本の資本が生まれてくるということだ。法律が規制しているポストハーベストの問題や狂牛病の検査態勢についても、日本独自のものは自由貿易の障壁になるので、取り除くことが要求される。この問題で、ゴーサインがでるということは、検査をしなくなるということだ。
そうなると、ノーチェックの農産物やお肉が、日本の商社を介在して大量に入ってくる。
国内法の問題に対してもアメリカは、貿易の自由化を阻止するような仕組みについては口出ししてくるのは間違いない。産地の明確化が進んでいるが、加工食品になるととたんにハードルは低くなる。抜け道はいくらでも存在する。
輸入は自然現象ではなく、極めて組織的な経済活動だ。この大きな資本の経済活動に日本の小さな農家が太刀打ちできるだろうか。────できないというのが、答えではないだろうか。
農水省の自給率13%という推計の中には、こういう問題が折り込まれている。農家個人のがんばりで対抗できるような話ではない。日本の国のあり方を、さまざまな具体的問題で作りかえていく危険性がTPPにはあるということだ。
亡国の政治は、某国の出来事ではない。それは、まさに今、日本でおこっている。推進の先頭に民主党が立っている。このことを忘れてはならない。