弁証法とは何か。

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今日は、午後から夕方までポスター貼りをおこなった。道路に設置されている温度計は、6度となっていた。寒い。手がかじかんでくる。でも今日の行動でポスター貼りは完了した。めでたし、めでたし。
毎日、会議が入り違うことをしている。まるで日替わり弁当のようなスケジュールだ。
なかなか思い通りに事が運ばない。
昨年から次から次に日程が入るようになってきた。いろいろなところに首を突っ込んでいると日程が重なったり同じ日に立て続けに日程が入ってきたりする。
人はこういう状態を「忙しい」という。
ぼくもこの「忙しい」世界の住人になりつつある。
さて。
「ラジオ版学問のススメ」に養老孟司さんが登場して、Part1からPart4までかなりたっぷりとインタビューに答えていた。この話は面白かった。
「養老訓」を買いたくなった。
様々な方々の話を聞いていると話が有機的につながっていく感じがする。
ぼくはこのポッドキャストから何を学んでいるのだろう。
少し思い起こしてみると、それは、弁証法とは何かということになるのかも知れない。
養老さんは、存在するものにはなにがしかの意味がある。それを簡単に切り捨てていいのか(否定していいのか)と語っていた。この話を聞いていると、マルクスの「現存するものの肯定的理解」という言葉が立ち上ってきた。
養老さんは、体は長い歴史をもっているが、人間の脳が言語を獲得したのは、せいぜい10万年前、みじかくて5万年前ぐらいという話もされていた。
このような話を聞いていると、「すべてのものは、生成・発展・消滅の過程にある」ということが思い出された。
以前この番組に出られた佐治晴夫さんは「人間は星のかけら」とか「地球の歴史は38億年。母親の胎内で子どもが育ち出産されるまでの期間は38週。人間は38週で地球の歴史を駆け抜ける」と語った。この言葉も、弁証法の説明になっている。
地域の子どもたちは、一人一人柔軟な生き方をしているように感じる。この芽を摘まないような学校を。ぼくはそんなことを考え出している。


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Posted by 東芝 弘明