会議の開始と和歌山時間

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花冷えとよんでいいような天気が続いていたが、日中はずいぶん温かくなった。3月議会の1か月間は、時間との闘いのような感じだったので季節の変化や時間の流れが分からなくなっていた。
気がついたら、3月初旬から3月末になっていたという感じだった。
娘は春休み、妻も春休みに入ったが、最近の幼稚園の先生は普通と同じように幼稚園に勤務するようになっている。娘だけが休みで、ぼくは議会で妻は日常と同じように勤務という3人3様の状態だ。
春休み中に1日ぐらいどこかに行こうと言ってもなかなか日程もあわない。
小さい頃よりも年を重ねるたびに忙しくなり、のんびりした時間が無くなってきている。
昔、というか、かつては和歌山時間という言葉があった。
7時半という会議を設定したら始まるのは7時40分というものだ。しかし、最近は、15分ぐらい前にはほとんどの人が集まってきて、会場はにぎやかになるという傾向が強まっている。
議会の出席も15分ぐらい前には、ほとんどの議員が事務局に現れるように変わってきている。ぼくのように9時ぎりぎりに事務局に到着する議員は少なくなっている。
議会は、9時始まりになっているが、9時10分からはじめることの方が多い。少し余裕を持って会議を始めるのが習慣になっている。ここにはまだ和歌山時間が生きているのかも知れない。
議会は、追加議案があれば議運が開かれ、本会議の開会がその関係で遅れる。
以前、一度だけ委員長報告に対するクレームがあり、本会議の開催が1時間ほど遅れたことがあった。
議会運営は、本会議だけでなく他の委員会との連携の中でおこなわれるので、時間を守って開会することはできないというのが基本だ。
これは、国会を見ていると分かることだろう。運営の仕方について最大の権限をもっているのは、議事運営の協議機関だ。国会では、国対委員長会議が政党政治の中での国会運営を協議する機関のようになっているようで、議院運営委員会がその下にあるような感じを受ける。しかし、いずれにしても国会の開会は、定刻に始まるという訳にはいかない。
地方議会も同じような側面があるということだ。
ただし、本会議の終了時刻は5時という決まりがある。これは会議規則に定められている。時間延長が必要な場合、議長があらかじめ時間延長を宣言しないと会議が終わってしまう。したがって、議会が混乱し、休憩に入ったまま5時が過ぎると本会議そのものが流会してしまうことになる。過去に1度だけ臨時議会で流会したことがあった。その時は、もう一度町長が議会に本会議の開催請求をおこない、議長がそれを受けて議員に招集状をだし、議会運営委員会を開き、会期を決定し会議を開催するという手続が必要になる。
形式的ながんじがらめ状態があるが、このようにめんどくさい手続があるからこそ、民主主義が守られているといえる。がんじがらめのルールは、結局、誰が運営しても守らなければならないルールとなるので、権限をもった人間が、自分の判断で自由にできないことを意味する。
がんじがらめのルールは、誰にとっても平等ということを保障する役割を果たしているということだ。
契約書にも同じことがいえる。日本の契約書には、解釈上、意見が分かれるような文言が多く、細かな規定については書いていないことが多い。しかし、さまざまなことを想定し、規制をしたり、ルールを決めていたりすることが、トラブルを防ぐ力になる。この点では、アメリカの契約社会のあり方を学ぶ必要があると思っている。
議会の中のルールには、議員の活動を規制するルールも多い。中には改善が必要なものもある。今の時代にあわせた新しいルールの確立も時代とともに問われていると言えるだろう。
窮屈なのは、本会議の質疑だろう。
議員は3回質疑をおこなえることになっている。4回質疑することは許されていない。議長の許可なしに発言することも許されていないので、発言はすべて挙手をおこない、議長がそれを指名することによっておこなわれる。4回発言したければ、4回目の挙手をおこなうが、議長が指名しなかったら質疑はそれでおしまいになる。
3回しか質問できないという習慣が身についているので、3回の質疑だけで1時間を使うこともある。何をどのように問うのか、組み立てが大事になってくる。
聞いている人にとって非常に分かりにくいのは、同時に10本ほど質問をおこなって、10本答弁をもらい、その答弁にあわせて質疑をおこなっていくときだ。話を聞いている人間にとって答弁がどの質問に対応しているのか読み取りにくい場合がある。
1問1答形式でエンドレスに質疑できれば、いいのだが、限られた日程の中で会議をしなければならないことを考えると、この形式はやむを得ないと考えている。
かつらぎ町の一般質問は、1時間という時間制限があるけれど、こちらの方は1問1答形式になっている。3つの質問をおこなうときには、1つの質問に20分時間を配分することを基本に考える。3つの質問は、場合によっては非常に窮屈になる。2本ぐらいのテーマで質問を組み立てる方が準備しやすい。
ぼくの場合は、一言一句原稿を書く。一問一答形式で相手の答弁を踏まえた原稿になっている。
質問を開始するときは、原稿にかなり忠実に質問を始める。次第に波に乗ってくると原稿の中から取捨選択し質問をおこなうことになる。後半は原稿から離れているケースも多い。
相手の答弁にかみ合ったやり取りが、質問の醍醐味なので、原稿から離れたときのやり取りの方が生々しくなり、やり取りが生きることが多い。ただし、そうなってくると和歌山弁が入り交じってくる。標準語に話し言葉が入ってきて、和歌山弁がそこにさらに重なってくるので、議事録を読むと洗練されてない話し言葉が痕跡となって残っている。
質問したまま、文章に起こせるような質問というものをしてみたいが、それは叶わない夢なのかも知れない。
答弁に対する絶妙な切り返しは、十二分な準備によって生まれる。準備が不十分な場合、切り返しにも切れがない。質問を読み返して反省することはたくさんある。生き物としての質問は、思い通りに行かないというところに面白さがある。不十分さを確認することが次の質問への「こやし」になる。

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Posted by 東芝 弘明