脳の発達と筋力
最近、非常に運動不足なので、コンピューターに向かって原稿を書いているとものすごく肩が凝ってくるようになっている。血が固まっているような感じだ。筋トレもしていないので腰への負担も大きい。
49歳という年齢はもう初老の域に入りつつあることを意味するので、健康と体力づくりをおこなわないと、若さが維持できなくなってくるだろう。
脳の衰えでいえば、50歳近くになるとかなり年がいってきて、衰えを感じるようになるのだろうなと思ってきたが、どうもそうでないらしい。文章を毎日書くようになってから、文章作成能力や物事の理解力は進んでいるようにも思う。そういう点では、脳については老いを感じていない。
暗記力という点では、どうだろうか。
こちらの方は、もともと暗記することが好きだったのは、詩の暗唱や文章の暗唱ぐらいだった。真剣に物事を暗記しようとしたのは、高校時代の英単語ぐらいだった。もともと、暗記力を酷使したことがないので、衰えを自覚しようがない。
ただ、新しい歌を覚えるのが苦手になっている。新しいメロディーが頭に入ってこない。歌詞を覚える力よりも曲を覚える力が落ちているかも知れない。これは退化なの、かも。カラオケで歌う曲に新曲が無くなっている。この分野には少し危機感がある。
脳と筋肉は使うことによってかなり活性化すると思うので、ブログが脳を鍛える上でものすごく役に立っている。しかし、Macの前に長時間すわっていることは、筋力の衰えを促進しているので、頭にいいことは、今のところ筋力アップにつながっていない。
もう一つだけ付け加えておこう。
本を読んでいるだけでは、脳の発達を促進するとは思わない。本を読むという行為は、情報のインプットに留まる。本を読んだら本から得た知識や感動した内容を体の外に、自分の肉声を通じて外に出すことだ。映画を見ても同じことがいえる。インプットしたことをどれだけ具体的に文章化したり肉声で体の外に出したりして、活用しないと読んだ行為は、かなり早く消えていく。
感動したことは、他人に話をして会話の中で記憶に定着させる必要がある。
感動したことをやたらめったら語るというのは、かなりはた迷惑なことだろうが、これをやめてしまったら、人間の発達は疎外される。はた迷惑であろうが、語り続けるのがいい。
資料を読み解きながら、論理を組み立てる必要のある議員の仕事というのは、本から学んだことを積極的に生かすということなので、頭にとってはすこぶるいい環境にあるということだろう。