かつらぎ町の学校統廃合

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12回目の学校適正配置・整備計画検討委員会が開催された。傍聴人も多かった。ぼくも傍聴人の1人として会議を見守らせていただいた。
ここに来てようやく、きちんとした財政状況の報告があった。
議論はこの問題に集中した。
過去の委員会で、このような報告がもっと早くなされるべきだったと思う。
山下委員長が、公聴会について、もっとかつらぎ町全体のことを視野においてかつらぎ町の教育をどうすべきかという視点で発言していただきたかったという主旨の感想を述べられた。
しかし、かつらぎ町は、町民に対してそのような意見を求めるだけの情報開示をしてこなかったと言っていいと思う。
事前に学校の視察もおこない、経過の報告もなされ、かつらぎ町の状況について、不十分ながらも、情報開示がおこなわれてきた「適正配置・整備計画検討委員会」のメンバーでさえ、公聴会にいたるまで、かつらぎ町全体の教育のあり方について、どうしていくべきかという意見が交わされてこなかったのではなかろうか。
だからこそ、白紙の状態で公聴会に臨み、住民の意見を聞いたのではなかったか。
かつらぎ町で、かつらぎ町の全体について、さまざまな角度から情報を持ち、認識を持っているのは、町長をはじめとした町の幹部数人とかつらぎ町の議員ぐらいしかないと思う。
ほとんど何の討議資料も示さないまま、公聴会で意見を求めても自分たちが認識している範囲でしか意見を述べることができないのは当然ではなかろうか。
委員長は、かつらぎ町は、まだ町として成熟していないと感じたとも述べられたが、この問題も簡単に町民に向けるべきものではないように感じる。
かつらぎ町は、昭和の大合併で2段階に合併がおこなわれつくられた町だった。
自治体というのは、共同体である。共同体の意識は、人為的に作られるものではなく、つまり合併したからといって簡単に形成されるものではなく、次第に醸成されていくものだろう。
合併によって生まれたかつらぎ町が、50年の歴史をもった町になったとしても、地域の共同体としての一体感が生まれるものではない。共同体の意識というのは、歴史的に文化的に形成されてきたものだろう。そういう意味では、四郷、笠田、大谷、妙寺、三谷、渋田、四邑、天野、志賀、新城などの地域は、これから先かなり長い年月がたったとしても、共同体の単位として残らざるを得ないと感じる。
むしろ、こういう共同体意識をあまり視野に入れないで、人為的に市町村合併を繰り返してきたところにこそ、共同体破壊の問題があったといえるのではなかろうか。
この問題は、「成熟していない」という言葉で批判するようなものではないように感じる。
2月に美濃市に視察に行ったが、学校の再編成をおこなった美濃市でも、旧町と旧町間の学校の再編成はこれからの課題だと言っていた。この問題は、それまでの再編成以上に問題が大きいと言っていた。それぞれの地域に学校を残してほしいという願いは、こういう性格の問題なのだと思う。歴史的に形成されてきた地域と地域の共同体意識への認識をふまえて、統廃合の議論に臨まないと住民の意識にかみ合わないと思うが、いかがだろうか。
傍聴をしていて財政問題の議論で、深めきれなかった問題があるとも感じた。
かつらぎ町にある中学校3校、小学校11校の数の多さが問題なのか、それとも改築の費用が問題なのかということである。
現行の制度のもとでは、学校の数の多さが問題なのではない。学校の管理運営の経費は、かつらぎ町の財政をそんなに圧迫しない。
人件費で自治体負担が必要なのは、用務員と学校給食調理員の人件費だけだ。
これは、保育所、幼稚園についての自治体負担と学校の管理運営の自治体負担との違いでもある。
改築費と修繕費をのぞく維持管理費でいえば、小中学校の負担よりも保育所の負担の方が大きいだろう。
かつらぎ町の小中学校が今直面しているのは、耐震補強の必要な老朽化した学校の改築問題なのだ。改築を直ちにおこなわなければならない学校が少なくとも3校あり、しかも合併特例債を活用しなければ、3校の改築は極めて困難だというところにある。改築問題ではっきりしているのは、財政当局が報告したように、平成22年までの5年間で学校を建て替えられるのは2校だということだ。5年間に3校建てるというのは不可能に近い。
ところで、合併特例債を活用できる期間は10年間である。特例債の限度額は48億円。報告では、このうち、20億円を学校の改築に当てることができるということだった。つまり、10年間で3校の学校改築はできるという話になる。
別の角度からいえば、学校の統廃合は、学校改築の流れに合わせて順次おこなわれるものになり、その期間は10年以内かもしくは10数年かかることになる。
統廃合の流れはかなりゆるやかだということだろう。
しかし、平野部にある学校の改築ができないから統廃合を選択するという論理は、大きな学校のために小さな学校を吸収するという側面を持ってしまう。
複式学級の解消というテーマを設定して、教育の向上のためにといっても、それだけではそんなに説得力を持たない。
かつらぎ町の子どもたちのために、どのような教育内容を保障すべきなのか。こういうテーマでさらに深めていかないといい教育はできない。
この面での深めは、教育にとって何が真に大切なのかという歴史的な総括と展望からしか導き出せない。この総括と展望をおこなえば、現在国がすすめようとしている「教育改革」が教育の抱える諸問題の悪化しか生み出さないことも見えてくるのではなかろうか。
「統廃合をすすめるが、よりよい教育を」というのであれば、教育内容についてのコンセンサスの形成が必要だろう。
「不易と流行」
熱病のように流されている教育に対し、人間の尊厳を守り成長を保障する「不易」の部分を大切にする姿勢が必要ではなかろうか。
しかし、根本的に一路縮小していくだけの議論には、大きな疑問がある。
かつらぎ町は、バブル経済期をのぞいて町を発展させるという積極的な展望を示したことがない。しかし、人口減少に拍車がかかり、農地と農村が疲弊しつつあり、高齢化に飲み込まれようとしている今日、自治体が腹をくくっておこなわなければならないのは、地域経済の活性化をめざす取り組みだろう。この分野は、自治体の財政運営論では解決しない課題である。これは、市町村における地域経済の活性化をめざす運動の具体化ということになる。
これは、市町村のほとんど未開拓の分野だと思う。未知の分野の運動であるだけに試行錯誤は避けられない。しかし、この分野に力を入れないとかつらぎ町の地域の未来は見えてこない。
地域の衰退に対し、衰退促進の施策だけで発展、活性化の努力をおこなわないのは、自殺するに等しいのではなかろうか。
もう一点。統廃合の議論をどう進めていくべきか。
10年間で統廃合をすすめるにしても、それは地域住民による苦渋の選択というべきものになるだろう。
行政が適正配置の方針を決定し、住民に従わせるという方法では、地域を破壊してしまう。
「学校の配置のあり方は住民自身によって決める」
時間がかかってもこの方向で努力しないと、統廃合は地域に負の遺産しか残さない。
学校の統廃合の議論とその結論が、町づくりの活力になって生きるようにしなければ、かつらぎ町の未来は暗い。
今日はそんなことを考えた。


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Posted by 東芝 弘明