「野半の里」、自己破産(追記)
東京商工リサーチ和歌山支店によりますと、「野半の里」は、江戸時代の1789年創業の老舗で、酒造業を営んでいましたが、1996年に飲食店や土産物店をオープンし、さらに、地ビールの製造や温泉施設を開設するなど、県内外から観光客を集めていました。しかし、1998年に年商およそ4億4000万円を計上して以降は、売り上げが伸び悩んだ上、新しい施設の開設や温泉の掘削などの出費が重なり、厳しい経営状態が続いていました。
「野半の里」が、1789年創業の老舗だというのは、少し事実とは異なります。
老舗という信用を利用して事業を展開していたようなので少し書いておきます。
寛政年間(1789年)に初代野上屋善八が伊都郡佐野村(現在のかつらぎ町佐野)で創業。寛政七年(1795)に第二代前田半十郎が継承。以来、当主は半十郎を世襲することになる。天保六年(1835)には第三代、安政六年(1859)に第四代、明治十六年に第五代、三十八年に第六代、大正九年には第七代と継承した。昭和八年(第八代寿久が幼少のため)に株式会社野半酒造店を設立し、社長に木村寛一郎、十一年には杉田龍雄が就任した。その後、十八年の戦時企業整備計画(伊那酒造組合)により単独操業蔵となった。三十二年には第八代寿久が社長に就任。平成五年に会長となり代って中神住春が社長に就任し、野半の歴史を継承。平成八年には地ビール「木乃国 野半ビール」の醸造場を新設し、野半の里を開業した。また野半は、天保九年(1838)松尾大社常夜打寄進三十一名中の前田半十郎であった。
「和歌山県酒造史」平成11年1月23日発行
発行:和歌山県酒造組合連合会/編集:和歌山県酒造史編纂委員会
引用した文章は、「野半の里」が自社の宣伝のために活用していた文章です。出所は和歌山県酒造連合会です。
平成5年に社長になられた中神住春氏は、ある事情によって経営が傾いた野半酒造店を買い取った方です。しかし、当時、この買収は平和的に行われたようで、しばらく八代寿久氏が、会長になり買収した中神氏が社長に就任したということです。会長と社長という関係になったということですが、野半酒造店とは全く関係のなかった中神氏が社長に就任したことによって、完全に経営権は中神氏に移りました。「野半の歴史を継承」と書いているのは、代替わりでなく他人が野半酒造店を引き受けたことを意味します。
野半が地ビールを作り始めたのは、規制緩和で地ビールブームが起こり始めたときでした。老舗の酒造店が地ビールを作るということ自体、老舗らしからぬものでしたが、当時は一定の注目を集めました。開業したころは、居酒屋と気泡館という地ビールのバーのようなところがオープンしました。この記事によると社名を「野半の里」に変更したのは平成8年だと読めます。実際のオープンは平成8年だったのかも知れません。
温泉の掘削を始めてお風呂を開設したのはかなり後になってからです。お風呂については、苦い経験があります。
花園村とかつらぎ町が市町村合併をしたのが、2005年10月1日でしたが、かつらぎ町は、花園村に合わせて翌年4月から入湯税を取ることになりました。ぼくは、3月議会の質疑、6月議会の一般質問で日帰り客には入湯税を取らないよう提案し実現しました。
この質問の過程の中で、野半の里にも取材に行き、社長にも会いました。質問が実現したので結果の報告にも行きました。社長は非常に喜んでいました。
2006年10月1日から日帰り客に対する入湯税は軽減措置がとられ、野半の里にも負担がかからなくなりました。
野半の里は、入湯税一人150円が加算されたときに、650円のお風呂を800円にしていました。
入湯税の減免が実現したときに、野半の里は、わざわざぼくの名前をお風呂の休憩室に書いて、値下げしたい旨のことを書いていました。しかし、2006年10月1日以降も、掲示文書を変えずに値下げしませんでした。20日ほど650円の入浴料に150円の入湯税がかかっているという表示でした。
「値下げをしないのであれば、名前を消していただきたい」
こう申し出ました。社長がいなかったのでお風呂の責任者の方にそう伝えました。
「社長に必ずお伝えします」
こういう返事でしたが、社長からは何の返答もありませんでした。野半の里は、結局10月1日以降、650円のお風呂代を800円に値上げしました。非常に後味の悪い出来事でした。
地ビールも寿久というお酒も、現在は野半の里では製造されていません。地ビールも地酒である寿久も他に委託生産させていました。
でも、インターネットでは地ビールを醸造しているかのような記述がありました。
「木の国野半ビールは、野半の里が醸造する和歌山で最初の地ビールです。
ドイツから送られたビール仕込み釜は、かつらぎの気候と水に良く馴染み、醸し出されるビールの味薫は、本場ドイツに勝るとも劣らぬ良質のビールとして高い評価を得ています。」──この文書はインターネットのキャッシュからまだ確認できます。
「野半の里」というのは、川上酒と呼ばれた紀ノ川流域の醸造元の名前を活用して、別の事業であるお風呂と食事を提供したということです。老舗の酒造会社が、新しい事業展開を行ったというのではないということです。
施設内での設備投資は、異常と思えるような状況でした。温泉は第5源泉まで掘削し、さらに第6源泉にまで手を出し始めていました。居酒屋から食事処に変更し、気泡館も姿を変えていると思います。大きな宴会場を作ったのにそれを整骨院に変えたり、その整骨院をやめて、最近はアトピーにきくということで施設を作っていました。
あの建物に対して、何重にも設備投資をしてきた結果、資金的に行き詰まって破綻したように見えます。
かつらぎ町は、花園にあるグリーンパークを指定管理させました。どうもこの指定管理が、野半の里の信用を高めるために利用されていた可能性があります。かつらぎ町と契約を交わして、グリーンパークを管理しているということになると、信用が高まると思われます。
預託していた方々を花園グリーンパークに招待していたという事実があるので、この可能性は高いように思われます。
何度も失礼します。追記しておくと、花園グリーンパークの指定管理者ということが、信用力の向上に利用されたことも事実ですが、和歌山県の認定する経営革新法の認定企業であったことや、今もWEB上で確認できますが、同じく和歌山県の表彰制度である百年企業表彰の対象企業であったことも、信用させるに足る要素であったのでは? と思います。
これを信用して預託してしまった方も多かったのではないでようか?
そうですね。そのとおりだと思います。
たびたびすみません。
今回の破産手続きにつき、今からでも破産処理ではなく、倒産した温泉を専門に再生させる会社(大江戸温泉リゾートとか湯快リゾート)に施設を買い取ってもらう交渉をすることは可能ではないでしょうか?
債権者としてはたとえわずかでもお金を回収したいので。
社長さんが多くの方々から批判されるのは、いわば当然だと思います。平成24年5月から第6源泉を掘削するために、新たに温泉掘削資金の公募をおこなっていました。一口100万円、250回の無料入浴券、1枚800円で買い戻す特典を付け、元金は満期時に全額一括返済を明記していました。この方法は、出資法に抵触しないかどうか、調べる必要があります。
ただ、破産ということなので、仮に不正があったとしても、お金が戻ってこないことが予想されます。大江戸温泉リゾートとか湯快リゾートなどの会社が、破綻したところを買い取って、再生していますが、破産している場合、こういう方法が可能なのかどうか、よく分かりません。
専門家の意見をお聞きください。
野半の里の代理人である弁護士の住所と氏名が公表されていますので、記載しておきます。
大阪市中央区北浜2丁目3番9号入商八木ビル2階
堂島法律事務所
TEL 06-6201-4458
FAX 06-6201-0366
株式会社野半の里代理人
弁護士 青海(せいがい) 利之
野半の里の資産は金額的にどのくらいあったのだろう?
破産手続きがなされて、管財人が決まれば、資産価値の計算がなされると思います。負債総額は推計14億円ということですが、この内容が明らかになれば、なぜ破産手続きに至ったのかについても見えてくると思います。
利害関係者である債権者の方々は、事実関係を知る権利があると思います。