ケア労働と仕事
ジェンダーフリーの学習を進めてきた中で、ケア労働について考えさせられた。人間はケアされることなしに生きていけない。食事、育児、掃除、お風呂洗い、洗濯などが滞っていくと次第に精神まで不安定になってくる。子どもの可能性を奪わないで成長を促し、快適な生活空間を維持するためには、ケア労働が不可欠だ。この家事や育児にまつわるケア労働は、女性の仕事であるかのように思わされ、役割分担という名で多くの女性に押しつけられてきた。
女性の社会的進出が進み、働く女性が増えてきたが、大きな構造として女性の家事労働は多くの家庭では、やはり女性の仕事として認識されている。この構造はまだ大きく転換していない。多くの女性は、仕事と家事・育児の両立をどのような状況の下でもやり遂げなければならないこととして位置づけて生きてきた。仕事も曖昧にできないが家事や育児も絶対に曖昧にできないというジレンマ、矛盾の中で生きてきた。
男性は、仕事を中心にしつつ、仕事がのしかかってこないという許容範囲で育児や家事を分担してきた人が多いのではないだろうか。仕事が忙しくなると「仕事が忙しいんだから、ぼくに家事を押しつけないでほしい」というような考え方を自然と身につけている人が多いのではないだろうか。ここにもジェンダー・ギャップがある。社会的に形成されてきた性差。男性と女性に押しつけられてきた男らしさと女らしさ。男性は仕事中心という考え方は、企業の中に貫かれていて、日本ではどんな無理難題でも上司が部下に命じれば従わなければならないという傾向さえある。どんな命令に対しても受けとめて対応してくれる部下が出世するといううような意識はないだろうか。
長時間労働に耐えうる男性と、時間が来たらケア労働のために職場を離れ自宅に帰らなければならない女性。社会はどちらを戦力と見なすのか。こういう枠組みの下で男性と女性の違いを見ているのではないだろうか。
ジェンダー・フリーという考え方は、こういう在り方に訂正を求めている。家庭におけるケア労働は、男性も女性も欠くことのできない仕事と同じ重さを持ったものとして分担しなければならない。それを実現するためには6時間程度の労働に短縮しなければならない。最近岡野八代さんという同志社大学の教授のインタビュー記事を読んで、このことに気づかされた。
岡野さんの本を買って読みはじめることにした。








ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません