ぼくたちが納めた税金はどう使われているの?

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山口2区の選挙結果をみていると、自民党政権が崩壊するような予感がし始めた。
自民党の幹部の発言が、国民の意識と大きくズレはじめているのを感じる。
後期高齢者医療保険制度。
自由民主党幹事長の伊吹さんは、「公平な負担を実現するために後期高齢者医療保険制度を導入した。しかし、後期高齢者とか終末医療だとかテレビ慣れしている大臣の説明があんまりうまくなくて、趣旨が十分理解されていない」
というような意味の発言をおこなっていた。
この意見、制度としてはよかったのに、説明がまずかったという意見に聞こえないだろうか。
後期高齢者医療保険制度が抱える問題は、こういうものだろうか。
違うと思う。
高齢者に対する大幅な税金の負担増、その次に出てきた後期高齢者医療保険制度。年金制度の不備、負担に次ぐ負担に国民の怒りが頂点に達しはじめている。怒りの質がこういうものであることを自民党は感じていないように思う。
道路特定財源の問題も、暫定税率反対の意見は、ガソリンが下がってうれしいということであり、同時に道路特定財源の使い方のものすごいずさんな姿への怒りだった。
山口2区の人へのインタビューのなかで、「自民党政治は戦後長すぎた」という意見があった。
消えることのない金権腐敗体質があらわになり、その一方で国民への負担増が次から次に押し寄せてくる。この政治の末期的な症状を自覚していないところに、自民党政治の末期的な症状が現れている。
昨年は、KYという言葉が流行ったが、まさにさまざまな幹部の発言がKY状態になりつつある。
「空気が読めない」ということをもって、批判するのは好きではないが、国民の受けを狙うはずの政治家の発言が、ことごとく国民意識とずれはじめているのは、国民からの乖離だろう。
日本共産党への支持は強まっていないが、ぶれないスタンスの政党としてがんばることが大事になっている。日本共産党は、21世紀の日本を国民の負担増、給付減という未来ではなく、国民の生活とくらしを守るなかで、持続可能な日本の建設を訴えている。
国内の経済重視で、国民の所得を引き上げ、経済循環を生み出し、経済成長を安定的な軌道に乗せるというのが戦略だ。
少子高齢化対策は、医療や社会保障の充実を求めている。医療と社会保障は、マンパワー重視の分野であり、経済波及効果も高い。この分野の充実は、ただ単に国の予算支出を増やすだけではなく、経済循環として跳ね返ってくる側面も持っている。
国民から集めた税金を、社会保障重視にシフトすることによって、経済の安定的な発展と国民生活の向上をめざす。ここに日本の社会の将来展望をもっているのが日本共産党の展望だ。
環境問題でも、石油からよりクリーンなエネルギーへの転換が問われている。石油に変わる石油キラーのような代替えエネルギーはまだ存在していないが、いくつかの代替えエネルギーの活用で、確実にCO2の排出削減は可能になる。イギリスやドイツの取り組みはそれを示している。
ヨーロッパでは、CO2排出の総量削減は新たなビジネスチャンスだととらえられている。企業に対する社会的な、もしくは国家的な規制が、新しいビジネスチャンスを生み出しているという視点が面白い。
さて。国民が納めた税金の問題で、エッセイ風な書き方をしておきたい。
ぼくは確定申告をして、国税の額を決めて納めている。この国税の額が決まれば、自動的に県民税と町民税も決まってくる。少ない所得のなかから税金を納めているのだから、自分が納めた税金を含め、それらが国民のために使われることを望みたい。
考えてみると、ぼくたちは年間たくさんの税金を納めている。ぼくの場合は、ガソリンなどはクレジットカード決済にしている。本も本屋さんがなくなってしまったので、Amazonで購入することが多くなった。ネット代も、携帯電話代もレンタルDVDもクレジット決済にしている。
昨年1年間のカード決済は70万円を超えていた。クレジット関係の消費税は3万5000円。
ガソリン代や車の車検時の税金、毎年の自動車税など車関係の税金が一番多いかも知れない。計算すると固定資産税額を上回っているだろう。
これらの税金がどう使われているのか、ぼくは知るよしもない。自分の納めた税金の使い道を明らかにしていくと、怒りがわいてくるかも知れない。
日本の国のおかしさは、なかなか議論されていることの全体像が分からないところにある。
「あなたが年間通じて納めた税金40万円は、こんな風に使われています」
こういう通知が、一人一人の国民に届いたら、みんなもっと政治に興味と関心が生まれるような気がする。
「あなたの税金を、少子高齢化社会に対応して、次のように使い始めました」
いつか、こんな時代を作ることが大切だと思う。
よく、「日本共産党は、いいことを言っているが、伸びないね」といわれたりする。
日本共産党のアピールの仕方や国民への浸透の度合いでいえば、ぼくたちが努力しなければならないことは多いだろう。
しかし、一つだけ言っておきたいことがある。
それは、「時代の支配的な思想は、支配者の思想だ」ということ。
権限をもった人の前に出たら、言いたいことの10分の1も言えない人がいる。
テレビというのはそういう世界。
新聞も同じ。
ぼくはそう感じている。
テレビのコメンテーターの多くはフリーランスの方が多い。
スポンサーからギャラをもらって、テレビスタジオの椅子を暖めている。
変な発言をすれば、途端にご氏名がかからなくなることは、「コメント力」という本を書いた有田芳生さんの本に詳しく載っていた。
昔々、ある有名だった司会者が、国政選挙に勝利した日本共産党候補者の当選で万歳をした。
完全にその方はテレビの仕事を失った。
支配者に都合のいい思想を一生懸命自分の説として語っているコメンテーターは多いし、権力を擁護する文章を書けばお金になるという現実世界がある。
これらの方々が腐心しているのは、いかに客観的な装いをこらすのかということだ。
かくて、物事の本質はなかなか国民の前に明らかにならない。
例をあげておきたい。
たとえば、まずは道路問題。
道路特定財源で、35年間どんなようにして道をつくってきたのか。
この総括がなされるだけで、道路特定財源の功罪が鮮明になるだろう。
総括はそんなに難しくはない。
日本の到達点を諸外国と比較すれば国政的な位置も見えてくる。
二つ目の事例は、環境問題。
日本の年間のCO2排出量はいくらか。このCO2をいったい誰が、もしくはどの組織が出しているのか。これが明らかになれば、対策の方向も鮮明になる。180の企業のCO2排出量が、日本の総排出量の51%を占めるという話は、ほとんど国民には伝わっていないし、ヨーロッパでは、企業と国が協定を結びCO2の排出削減に本気で取り組み、削減目標も80%などという高い数値をかかげている。
こんな話も国民にはなかなか伝わっていない。
高い山に登って、町の地形を眺めると地面にへばりついて歩いているときとは違ったものが見えてくる。
物事に取り組むときに、「俯瞰する」ということは非常に大切だと思っている。しかし、政治問題となると物事を俯瞰せず、全体像が明らかにならない中での議論が多い。
全体と部分の問題は、たえず大切なのに、議論がついつい枝葉末節のところでの争いになる。
税金もおんなじ。国の財政の使われ方を円グラフで描いて、どう使うのが一番ふさわしいのか。
ぼくは、このような議論をまっている。
話はそんなにややこしくはない。
難しそうに議論する人がいて、話を混乱させる人がいる。
訳が分からないのは、誤魔化したい人がいるから。その場合がかなり多い。
自民党幹部の山口2区の選挙結果を前にしたコメント。
「選挙に勝ったからといって、もしくは負けたからといって、選挙の結果に民意が表れているとは思っていない」
強弁は、たえず出てくる。利害が強弁を生み出すように思う。


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Posted by 東芝 弘明