ローマの休日

映画

Unknown-1

連休中、ほとんどどこにも行かなかった。
少し休んだときには、オードリー・ヘプバーンの映画を3本観た。楽しいコミカルな映画が多い。

笑顔の綺麗な人だが、眉の濃い人でもある。映画を観ながら「濃い眉だなあ」と思いはじめると、なんだか眉ばかり見るような感じになった。
オードリーは、1929年生まれだから生きていたら84歳だ。若くしてなくなったから随分昔の人のような感じがする。ぼくの母親よりも4歳若い。考えてみると自分の親たちの年代だったということになる。
オードリーの人生には、第2次世界大戦が色濃く影を落としている。ウキペディアには次のような記述がある。
「第二次世界大戦中はオランダで、密かにドイツのオランダ占領に対する抵抗運動の資金集めのために踊るなど、反ドイツのレジスタンス運動に従事していた。オードリーの叔父と母親の従兄弟はドイツに対する抵抗者だったため、オードリーの目の前で銃殺された。彼女の異父兄弟もドイツの強制収容所に入れられた」
この時の経験が、オードリーの生涯を貫く経験になっている。晩年、ユニセフの親善大使をつとめたのは、この人の生きる姿勢を表している。

Unknown-2

一番有名な作品は、「ローマの休日」だろう。長い髪をバッサリ切って、ショートカットになるシーンは多くの人の心をとらえた。真実の口のところで、驚いたオードリーの姿に心引かれた人も多かった。記者会見のシーンでは、2人の気持ちが観る人の心にしみた。この作品の脚本は、ドルトン・トランボだった。アメリカで赤狩りの嵐が吹いていたときに、トランボは、イアン・マクレラン・ハンターの名を借りてこの作品の脚本を書いた。トランボの死後10年が経ったときに、スピルバーグが、トランボの脚本をもとに「オールウエイズ」を作成している。この作品は、オードリーの最後の出演作となった。

images

オードリーは、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語の5カ国語に堪能だった。
映画というものは、本人が亡くなった後も、その瑞々しさを失わない。デジタル技術が発達したので、それ以上、劣化しない状態で「ローマの休日」を見ることができる。近い将来、この白黒の映画に違和感なくカラー化が施されて、いわゆる総天然色(古いなあ)で「ローマの休日」を観ることができるかも知れない。
そうなったら、賛否両論があるだろうと思う。でも、この映画は著作権が切れているということだから、誰かこういうことを試みてほしい。
勝手な願望だけれど。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

映画

Posted by 東芝 弘明