尾木直樹さんの講演

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伊都人権教育研究会(伊人研)の総会があり、記念講演として尾木直樹さんの講演があったので参加した。
尾木直樹さんは、小柄な人だったが、話はすこぶる面白かった。
講演では次のようなことも語られた。
高校の授業料が無料でない国は、先進国では4つしかない。日本、韓国と後2つ。
教育は未来への投資。だから子どもの教育は大学まで無料という国が多い。
日本のように毎年、教育予算を削っている国はない。
文部科学省は、財務省に対し教育費の増額を要求し、論文による議論になったという。しかし、文部科学省の方が負けた。
財務省の結論は、教育費を増額することは無意味だということだった。
私は腹が立った。
日本の新学習指導要領は、来年4月から全面的に実施される。日本は、思考力、判断力、表現力が重視されるようになる。しかし、このようなとらえ方では極めて不十分だ。たとえば、国際的な学調査(PISA)で世界一になっているフィンランドでは、発想力、論理力、批判的思考力、表現力、コミュニケーション力の5つが幼稚園の時期から大学に至るまで追求されている。
幼稚園ではどのような実践がおこなわれているのか。
テーマを先生が出す。例えば「水」。
この「水」という言葉からどんなことが思い浮かぶか、子どもたち同士で話し合って発表しあう。
先生からくり返し問いかけられる言葉は、「どうして?」。
「どうしてそう考えたの」
この問いかけで、子どもたちは豊かな発想力、論理力、批判的思考力、表現力、コミュニケーション力が、相乗的に培われていく。これらの力が活用力として身についていく。
基礎基本の徹底をおこなえば、学力が向上して応用力が身につくかどうか。
尾木さんは、「身につかないでしょ。基礎基本の徹底をおこなえば、応用力が身につくというのは説明できていないですよ。そうでしょ」と語った。
ここからは感想を交えて書いてみたい。
尾木さんは、批判的思考力がきわめて大事だという話をされていた。
話を聞きながら、思い出したのは、「すべては疑いうる」という言葉だった。
批判的思考力とは、すべては疑いうるという言葉と結びつくと思う。
どうしてそうなるのか?
ここから、深い洞察が始まっていく。問いを立てることができなければ、探究は始まらない。
尾木さんは、活用力という言葉は、応用力とはまったく違うと述べた。活用力というのは、生活のなかに生かされて、生きる力になる学力ということだろう。
富良野に住む脚本家の倉本聰さんは、この活用力を生活の知恵だと言ったことがある。若者には、学校で学んだ知識はあるが、生活の場に活かせる知恵がない。富良野塾に入塾した若者に、あの極寒の地で、自分たちだけの力で生活することを実地体験させた。
この体験を通じて、はじめて若者たちは知恵を身につけていった。
ぼくたちも、まったく不便なところに投げ込まれて、何日生活できるだろうか。果たして自分たちの知識は生きる力として役に立つだろうか。かなり怪しいもんだ。
しかし、活用力というのは、こういうことも含めた学力のことだろう。
大学教授を親にもつ大学の先輩から、化学の実験の話を聞いたことがある。高校で習った化学の方程式は、大学ではほとんど役に立たないのだという。化学の実験には、まず時間がかかる。物質が化学変化を起こすのに必要な時間は、まさに化学変化のプロセスというもので、この変化にかかる時間こそ、物質の運動形態そのものだろう。
しかし、高校で習う科学の方程式は、物質の化学変化にかかる時間などは無視され、しかも実験に使用したすべての物質が式通りに変化するというものだ。しかし、現実の化学変化はそんな簡単なものではない。
一つの化学式の変化が一通り起こるまでに1週間かかることもある。
化学式だけを暗記し、試験でいい成績を取っても科学者にはなれないということだ。
まず、科学者は物質を見極める目が必要だ。塩酸、硫酸、硫黄、酸化ナトリウムなどなど、具体的な物質とそのもののもつ具体的な性質を知らなければ、実験を任せる訳にはいかない。
医者を養成するのには7年も8年もかかる。知識だけでは医者にはなれない。人間の臓器や骨が実際どうなっているのかを具体的にリアルに把握しないと医者はつとまらない。
活用力のない学力などは、まったく役に立たないということだろう。
議員活動というのは、言葉の世界だが、一番大切な力の一つは、イメージする力だと思っている。議員は何でもかんでも現場に行って直接体験をおこなうには限界がある。できるだけ現場に行きながら、どれだけ具体的に物事を把握し、イメージできるのか。人の話を聞き、どれだけリアルにその話を再構成できるのか。
取材の中で発揮される質問が、どれだけリアルに、具体的に本質に迫るものになっているのか。
こういう力がなければ、直接体験できない部分の溝は埋まらない。積極的に体験できない部分の溝を埋めて話の本質に迫っていかないといい取材はできない。本質に迫る取材をおこなって、現場の苦労が手に取るように浮き彫りになれば、現場の人はより深い話をしてくれる。
現場からいい話を聞き出す力。ここでも求められるのは、活用力だろう。
柔軟な思考、学力というものは、やはり人間と人間の学び合いの中で、具体的に多面的に物事を考えるなかで培われていくということであって、基礎基本を徹底すれば、自ずから応用力が身についていくということではない。むしろ、ドリルや計算をくり返しおこなうだけの学習を積み重ねていけば、脳みそが筋肉化してよくないということではないだろうか。
話を聞きながらそんなことを考えていた。
尾木さんの話は、この中心的な話とともに、もう一つの面白さがあった。面白い方の話は講演を聞いた人の胸の中。


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Posted by 東芝 弘明