豊かさとは何か

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日本の教育が、塾を補完物にして成り立っているということを考えてみる必要がある。
中学生になると塾に行くのが当たり前のようになっている。高校進学、大学進学を目的どおり果たすためには、塾が必須の条件になっているのだろうか。もし、塾が必須条件だというのであれば、日本の教育制度は、塾の存在なしには機能しないということになる。
しかし、すべての学生が塾に行けるとは限らない。塾に行けるかどうかは、やはり家庭の経済力に左右される。そうなると、全体的な状況から言えば、貧富の差が受験用の学力に大きく作用することになる。
しかし、塾問題はこの学力差だけにはとどまらない。
1日は24時間しかない。8時間が昼間、拘束される時間だとすると、8時間が睡眠時間、8時間が家庭で自由に過ごせる時間となる。
中学生の場合、学校の授業が終了してからクラブ活動が始まり、4時30分か5時にはクラブ活動が終わる。その後、塾に行くことになる。子どもの帰宅時間が8時30分とか9時になると家庭での自由な時間は、2時間30分程度しかない。クラブ活動と塾を両立させている子どもたちの日常は、めまぐるしいほど忙しい。
家庭で過ごす時間が、7時から11時まで確保できるとしてもわずか4時間しかない。食事をしてお風呂に入りという時間を差し引いていくと家族の団らんにあてられる時間は、ほんのわずかしかないことになる。
8時間が拘束時間で、8時間が自由な時間ということが文字通り実現すると、親子の会話や家庭で家族と過ごす時間が、十分とれることになり、人間の基本的な生活環境が大きく変わる。
「豊かさとは何か」ということを考えるときに、家族と自由に過ごせる時間が確保されているということが、豊かさの質を保障することになるのではないかと思う。
中学生に「あなたは孤独を感じているか」を尋ねた調査で、子どもの30%が孤独を感じているという結果があった。この調査を諸外国と比較すると、日本は極端に高いのだという。この調査は、ある講演会で教えていただいたものだ。この結果には驚く。
地域で自由にすごせる時間を保障すれば、日本社会のライフスタイルは大きく変わるのではないかと思われる。理想的なのは、学校にクラブ活動がなくて地域にすべてがあるという形。5時以降、家族の団らんが確保でき、家族で楽しんで過ごすことも、地域の中でスポーツ(クラブ活動)や音楽や文化的な活動をおこなって暮らすもよしという状況になれば、かなり幸せな状態が生まれるのではないだろうか。
高校まで、まったく競争がなく、地元の高校に進学し友達と地域の中で豊かに育っていけば、さまざまなことを体験して成長していくだろうなあと思う。
学校の勉強と地域での学習とには、さまざまな違いがあり、単に学校での学びの延長としての家庭学習だけではない学習が保障されれば、豊かなくらしになるのではないだろうか。
労働の現場における8時間労働制は、本来、人間に自由な時間を保障するために勝ち取られたものである。日本で、残業のほとんどない8時間労働制が実現すれば、次第に地域での活動に豊かさが増えていくのではないだろうか。
家庭に夫の姿が見えなくなり、子どもがクラブと塾で忙しくなり、お母さんは子どもの送り迎えでてんてこ舞いになりという日本の現実を考えると、何だか暗い気持ちになる。
「中学生になると会話が少なくなる」とよく言われるが、それは、子どもが成長していく中で必然的に起こってくる問題なのではなく、会話がなくなるような客観的な状態が、家庭生活の中に存在しているということではないだろうか。
最近は、こんなことをよく考えるようになった。残業のない社会を。受験競争のない子どもの世界を。この2つを理想として掲げたい。


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Posted by 東芝 弘明