人間の命と蚊の命は同じ?

雑感

昨日、寝る前に娘が突然喋り出した。
「人間って勝手だとずっと思ってきた。人間の存在の意味がわからない。蚊の命も人間の命も同じなのに、蚊を殺しても人間は罪に問われない」
「私なんていなくても、誰も困らない。いなかったとしても何も変わらない」
人間の存在意義。ないよなあと思ってしまった。人類誕生の意味なんてないというのもそうだろうなと思う。
それを前提にして、この哲学的な問題をどう考えるのか。ぼくも考え直してみよう。

Facebookに上の文章を書き込んだ。
人類誕生の意義。たとえば、キリスト教は、神が神様に似せて人間を作ったということを言って、人類誕生が極めて大きな意味をもったという態度をとっています。神に似せて作ったということによって、人間の存在は特別だということになります。うまい仕組みだと思います。それを信じると、思考はそこで止まります。キリスト教の下でも、思考が止まらなかったのは、ダーウィンでしょう。進化論は、人間の祖先は類人猿だったということなので、人間より先に他の生物があり、生物の進化の中で人類が誕生したということになりました。
これは聖書の否定です。

進化は、偶然を排除しないと思います。生き残った種の生物的な機能を見ていると、ものすごく見事なものが多いので、進化は合理的な方向に進むように見えますが、それは環境に適合してきた変化が生き残る大きな要因になったからでしょう。滅んだ種の多さが、環境に適応できなかった種の多さをも、物語っていると思います。
人類が、発展してきたのも偶然の中に貫かれた必然的な傾向だったと思います。それは、偶然を排除できないということでもあります。
そこに、いわば神の摂理はないということです。

Facebookでは、3人のコメントに対し次のようなコメントを返しました。
「みなさん、コメントありがとうございます。若い頃、人類は、地球の中で最高に発展した生物だと思っていました。でも、今は違うなあと思っています。
全ての生物は、みんな進化の頂点にあります。生物としての能力という点をみても、人間の能力をはるかに超えた存在はたくさんあります。
地球上で地球を支配しているというのも違います。地球で一番数が多い生物は微生物でしょう。なかには、100度を超える水温でも生命活動を維持できる微生物も発見されました。虫の能力の高さに着目したナノレベルの研究も盛んに行われています。
人間が優れているのは、前足が自由になり手として発展し、脳が発達して、言語が生まれ、外界を脳を通じて認識できるようになり、自然を作り変えることができるようになったところにあるとおもいます。
でもこの発展は、偶然性のなかに貫かれて来た必然によって支えられてきたものです。人類誕生について、偶然性を排除できません。
こういう風にして成り立った人類に存在理由があるかどうかは、人類の活動にかかっているとおもいます。
物質から核分裂によるエネルギーさえ取り出し、コントロールできるかのように見えている今日、人間の行動によって人類が滅びかねない状況さえあります。地球温暖化問題もそうですよね。
人類の存在理由があるのかどうか、まさにこの根本問題さえ問われる時代だとおもいます。人類は、自由と民主主義を発展させてきて、戦争さえ絶対的な悪だとしつつある考え方を生み出して来ました。この一方で、戦争容認の勢力が力を握っている現実があります。
人類の存在理由。この答えを出すために、私たちは生きているのかも知れません。」

地球上の全ての生物は、それぞれ進化の頂点にある。という事実には、極めて重いものがあります。万物の霊長=人間ではないということです。地球上で最も数が多いのは、微生物です。しかもこの微生物の存在によって生物の循環が成り立っているので、地球にとっては、人間以上に大切な存在は微生物なのかも知れません。人類は、戦争や核兵器や原発によって、愚かにも滅ぶ可能性があります。人類のほとんどが滅ぶとすれば、人類が人間の存立の条件である地球環境を破壊するときだと思います。この兆候は具体的事実として存在します。
人類の存在理由という娘が投げかけた疑問に対し、少し前の人類ならば、人類の進歩と発展と調和を前提に希望ある未来を示したと思います。しかし、現在の日本の現実を踏まえるならば、人類の存在理由そのものが揺らいでいる。この答えはまだ出ていない、というのが一つの答えなのかも知れません。

私たちは、人類に投げかけられている根本的な問いかけに答え、それを乗り越えて未来ある展望を示さなければなりません。田舎が衰退し、人口減少によって崩壊することも含めて、このような方向が進むのは避けがたいというのは誤りです。この問題は、克服しないと日本の存立に関わる大問題です。田舎が滅ぶとき、日本の食料も滅びます。それは都市の崩壊をも意味します。人口減少は克服できない傾向だというのは、現状を踏まえた上での極めて深刻な方向性であって、運命決定論的な必然ではないということです。人口増はありえないように見えるというほど、深刻な問題だということです。

他方、核兵器を廃絶し、戦争をなくし、人類と共存できない原発はなくす。人類はこの方向を選択しつつ、エネルギー問題を解決する必要があります。それを実現しないと豊かな未来は開けないと思います。戦争に強い国を作りたいのであれば、原発を廃炉にしないと極めて危険です。日本を崩壊させたいのであれば、原発を攻撃すればいい。それだけで日本は壊滅します。戦争したい人々は、どうもこういう簡単なことを考えていないようです。
日本共産党は、日本社会の豊かな未来を展望しています。でも、この課題は、現在直面している課題を克服してこその未来です。日本人全体からいえば、まさに人類の存在理由が問われているせめぎ合いのときにあると思います。

娘には、娘の問いに答えるためにも、今の勉強があるのではないか。と返しました。蚊と人間の命は、同じ命ではないか。という問いかけは、手塚治虫さんの「ブッダ」を思い起こさせてくれました。男の子が蛇と取引して、自分の命を蛇にあげようとするシーンがあります。男の子は蛇に飲み込まれるのですが、それを見つけた男の人が、蛇のお腹をさいて、男の子を助けるのです。男の子は、蛇との約束を破ってしまったと言って泣いて怒るのです。
蛇の命も人間の命と同じ。これは強烈なメッセージでした。
地球にとって、人類は余計なものなのかどうか。この答えは、人類自身が見つけ出すべき課題だと思います。


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雑感

Posted by 東芝 弘明