憲法カフェは楽しい

10時から9条連絡会が主催した憲法カフェが開かれたので参加した。主催は伊都・橋本9条連絡会。講師にお招きしたのは海堀崇弁護士。誠実な先生だった。海堀先生は、日本国憲法が安保さん文書にもとづく戦争準備によって、日常的に踏みにじられている状況について30分、報告された。そのあと、交流が始まった。
日頃、平和について、戦争準備について感じていることが話し合われた。
日本国憲法は、人類が多年にわたって培い、獲得してきた価値あるものを受け入れて成立したものであり、それが、国民主権、基本的人権、恒久平和という原則として実っている。
国民主権と恒久平和は表裏一体のものになっている。国家による交戦権の否認と軍隊をもたないという規定と国民主権の関係は深い。戦争に対する国家権力への縛りは大きい。国民が憲法改正によって戦争遂行を許さないかぎり、日本は戦争する国にはならない。こういう関係にある国なのに、日本は今、アメリカの指揮の下に自衛隊が入り、敵基地攻撃能力という完全に自衛力の範囲を超えた攻撃ができるという解釈の下で、戦争準備を進めている。情報化時代であるのに、このことが公然と進められ、9条に自衛隊の存在を書くだけという虚偽の説明で、憲法改正がなされようとしている。9条に自衛隊を明記すれば、戦争を公然と始められる仕組みがつくられようとしている。
改正論の中に緊急事態条項を入れることによって、国家が強権を発動でき、国民を弾圧できる仕組みが完成する。今の国会には国家が地方自治体に対し、指示でき、自治体は拒否できないという関係の法案が出されている。国民のことを守る立場にある自治体に対し、現場のことも踏まえないで国家が命令を下すという仕組みは、憲法違反、地方分権無視。国と地方の関係を示した憲法の基本原則を踏みにじるもの。これに対し、自治体の長や議会が意見を言わないのは極めておかしい。
国民主権、基本的人権、恒久平和という原則をもった日本国憲法についての論点は多元的であり、汲み尽くすことのできないほど、豊かな視点をもっている。これを語り合う意味は深くて広い。憲法は国の最高法規なので、この精神が法律を通じて国民の生活に生かされていくのが本当の姿。京都の蜷川虎三さんが、「憲法を暮らしに生かす」というスローガンを京都府に掲げた意義は今も大きい。国のやっていることに対し、役割分担を理解して(これは本当は忖度そのもの)、ものを言わないというのは、自分たちの首を絞めるに等しい。
憲法カフェという集まりは、今後も続けてほしいと思う。憲法を生かす議論は暮らしの中にこそ求められる。
上のチラシは、ぼくが作成したもの。主催する団体を書き忘れたのが玉にキズ。
笠田小学校の運動会があるのをまったく知らず、日程に入れていなかった。案内の封筒を開封せず、見ていなかったのが知らなかった原因だった。出席できなかったのは大失敗だった。



