『冬は踊っている』を読んで

雑感

9月の同窓会でいただいていた本がようやく手元に届いた。同窓会のときに友人の車の中に置き忘れていたまま、預かってもらっていたものだった。
紙袋には、『ゼリービーンズの魔法』と『冬は踊っている』という2冊の本が入っていた。この本は同級生の女性が花祭明日香さんの筆名で書いた本だ。『ゼリービーンズ』の方は、4年前の同窓会のあと買い求めて読んだことがある。

土曜日に受け取った本を日曜日に読んだ。この本には、故郷であるかつらぎ町のことが書かれている。思い出を一つ一つ紐解きながら書き留めたエッセイを読んでいると、自分自身の記憶が幾重にも重なっていく。
作者である彼女とぼくとは、中学校、高校の同級生だが、あいさつさえ交わしたことがないほどだったので、彼女の2冊の本が、ぼくにとっては交流の始まりだった。共通点は、同じ地域という空間の中にいて、同じ時間を生きていたということだろう。本の中に書かれているお店が、ああ、ここのお店のことだろうか、とか、小学校時代の秋祭りは今以上ににぎやかだったんだなとか、戦争が終わって20数年という時代である1960年代後半は、やはりまだ貧しさを引きずっていたんだなとか、色々なことが浮かんでくる。今回読んだ本には、色々なことを思い出させてくれる希有なエッセイとして、心にしみるものがあった。

エッセイの最後から2つ目に「悲しくてやり切れない」という作品があった。
「柩の中の夫は、眠っているように見える。」という驚きの一行からこのエッセイは始まっていた。彼女がいくつのときの話だったのか、記載はなかったが、ガンで亡くなった夫の話を押さえた筆致で書いている。
「あいたい。あって夫の声を聞きたい。
『ただいま』の声が聞けるなら、私は自分の命と引き替えにしてもいい。」
夫を亡くした妻の深い思いが、この2行に込められていた。

同級生の年齢が高くなってきて、病気の話や健康の話が語られるようになり、他界したり健康を回復したりする話が、自分たちの身近に迫ってくる年齢にさしかかっている。これから先、ぼくたちに待ち受けている話だけれど、引き離される思いの深さに心が揺すぶられる。
悲しみは、次第にかさぶたになって傷口をふさいでくれる。でもその傷口は消えない。そのかさぶたの下には、いつも血が流れていて、その血の流れをときどき見ながら、日々を重ね歳月を重ねていく。ただ、時間が経っていくにつれて、かさぶたも小さくなり、剥がして流れる血もすぐに止まるようになるのだろう。それが「癒やし」の形のような気がする。呼びかけても答えてくれない寂しさは、次第に胸の中に幾重にも折りたたまれていく。折りたたまれたものは、物語として心をいやしてくれるものにいつか変化すると信じたい。

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雑感

Posted by 東芝 弘明