閉塞感と排外主義

雑感

安倍さんを支持する人の中には、政治を前に進めることに対する信頼があるのかも知れない。
2009年9月16日に発足した民主党政権は、2012年12月26日で幕を閉じた。この3年間は、民主党が政権について、公約をことごとく投げ捨てて政権の座から降りるというものだった。大企業・財界とアメリカの圧力に屈し、民主党政権が自民党政権に飲み込まれたように見えた。自民党的な政治を変えられないのか、自民党的政治を変えるためには、何が必要なのかを考えさせられた3年間だった。
「日本を取り戻す」というスローガンを掲げた安倍政権は、民主党に変わって政治を担うと、国民の支持を得るためにアベノミクスを掲げ、経済の浮上をめざした。支持率を高めると本来の目的である極めて右よりな政治を徐々に実行するという方法を取った。戦争への道は、特定秘密保護法の強行採決から始まった。2014年7月1日の閣議決定によって集団的自衛権に対する解釈を180度変更し、それ以降2015年の9月19日までは、戦争法案を可決するために全力を尽くしていった。
何もできなかったように見えた民主党政権と比べると安倍政権は、マスメディアを取り込みながら果敢に誰も成し遂げなかった極めて右寄りの政治を実行した。今までのタブーに挑戦して、実行している安倍政権に対し、期待をかけ支持を表明している人もいるだろう。
「実行力がある」「誰もやれなかったことを貫いている」
期待している人は、行動力、推進力に魅力を感じているのではないだろうか。

一方、国民主権を大切に考え、憲法と平和を大切に考えている人々は、憲法を踏みにじり戦争へと突き進んでいる安倍政権に対し、危機感を表明し、国会前に詰めかけ、「平和を守れ」、「戦争反対」、「国民主権を守れ」、「立憲主義を守れ」と訴えるようになった。結集している人々は、若者からお年寄りまで、この中には、圧倒的多数の憲法学者や弁護士、大学教授、SEALDs、ママの会、芸能人などなど多くの人が含まれていた。
反対運動に立ち上がった人々の中には、多くの個人がいた。自分の言葉で戦争反対を語り、自分の考えを明らかにした。

戦争法案廃止のたたかいは、野党の団結と結束を生み出し、法案の強行採決への動きが強まる中で、最後まで国民運動に支えられながら反対を貫くという形になった。反対した政党の中には、民主党と日本共産党、維新の党、社民党などがいた。この闘いを通じて、ともに闘った人々は野党の共闘を強く求めるようになり、安倍政権打倒を掲げるに至っている。

こういう日本の状況をどのように把握するのか。時代は今大きな曲がり角にさしかかっている。
安倍さんに共感している人の中には、現在の政治・経済的な閉塞感を打ち破って欲しいという強い思いがある。中国や北朝鮮、韓国への怒りを上手に利用しながら、期待している人々は、閉塞感を打ち破る強い政治、強い意志、強いリーダーを求めている。
社会に閉塞感が充満するときには、排外主義が政治の表に踊り出す。自分たちを苦しめている「敵」があり、この「敵」を打ち倒さなければ、閉塞的な状態は打開できないというような形が形成される。
「敵」は誰か。それは、「中国」であり「韓国」であり「北朝鮮」であり、国内では「公務員」だった。ここに「テロ」が加わりつつある。このような「勢力」を徹底的に強く攻撃することが、強さの強調であり、強さへの憧れになる。この強さに人々は「突破力」を見いだしている。
この構図は、ヒットラーが「ユダヤ人」が苦しみの根源であるかのように描いて、国民の支持を得て台頭したのとよく似ている。

「敵」への攻撃と強権的な政治は、「敵」を打ち倒すのではなく利用する。これらの「敵」に対する徹底的な攻撃によって、何が実現するのか。それは戦争への準備と国民弾圧への仕掛けだろう。
共謀罪が検討されつつある。特定秘密保護法、戦争法、共謀罪。戦争による国民抑圧のシステムは着々と準備されている。安倍政権に拍手を送りつつけていると、その拍手の先には輪っかがあり、その輪っかはいとも簡単に国民への手錠となって襲いかかる。

戦争反対を主張し、国民主権と立憲主義の回復を求めている人々は、国民弾圧への動きを敏感に感じ取っている。安倍さんを支持している人々の多くは、戦争参加を否定し、国民弾圧への動きを否定しつつ、むしろそれらの動きを賞賛している。ヒットラー政権が国民に強く支持されたように。

ぼくには、そう見えている。
安倍政権を支持している人々のは、どう見えているのだろう。日本が戦後実現した恒久平和がいつまでもつづくと思っているのだろうか。恒久平和が崩れ去るような国内でのテロ事件が発生したら、いとも簡単にアメリカと一緒にイスラム国を叩けというのだろうか。戦争はやむを得ない。平和を守るためには戦争しかないというのだろうか。
満州事変が起こったとき、多くの日本人は満州事変を支持し、戦争によって国内の疲弊や不景気が突破できると期待したのだという。太平洋戦争から70年経った日本は、戦争への道を支持する人々によって窒息させられるのだろうか。

国民主権は、自由と民主主義を拡大し、自由と民主主義を守る人々を育成してきた。それらの人々が立ち上がって、戦争への道をくい止めるのだろうか。せめぎ合いは、国民一人ひとりの中に降りてきて、国民同士の議論としても展開されていくのだろうか。真実を明らかにしない政権と一緒になってお先棒を担いでいるマスメディアと自覚した国民とのたたかい。こういう中で未来が決まっていくのだろうか。

雑感

Posted by 東芝 弘明