サイモン&ガーファンクル

雑感

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高校生の彼女は、クレオパトラのような髪型をしていた。髪の毛はサラサラしていた。同じクラスだったのか、それとも選択の授業で一緒だったのか、記憶が全く欠落している。「サイモン&ガーファンクル」の話にどうしてなったのかも全くはっきりしない。でも、彼女から借りたLPは、「サイモン&ガーファンクル・グレイテスト・ヒッツ」だった。でもLPのジャケットがどういうものだったのかも記憶にない。
鮮明に覚えているのは、LPを返したときのことだ。笠田駅前のレコード屋さんの前の路上で、彼女に借りていたレコードを返した。そのとき彼女の髪は揺れていた。日差しは明るかった。交わした言葉は覚えていない。ありがとうと言ったことだろうし、彼女は何か答えたのだろうけれど。
借りたLPは、カセットに録音して繰り返し聴いた。そのテープで聴いていた期間は1977年から1998年近くまでなのかも知れない。そうだとすれば20年間を超える。
家にあったステレオが壊れてなくなると、聴くのはもっぱら車の中のカセットデッキでという方法になった。TOYOTAのスパシオに乗り換える前のTOYOTAカローラが「サイモン&ガーファンクル」のテープを再生していた「現場」だった。

18歳で夜間大学に入り、フォークソング研究会に顔を出すと、先輩の3人がいた。3人がギターを抱えて「サイモン&ガーファンクル」の「サウンド・オブ・サイレンス」と「スカボロー・フェア」を歌っていたのは衝撃的だった。3人が歌う曲は、見事なハーモニーの再現だった。

彼女とは社会人になってから再会した。彼女が自転車で走っているとき、ぼくはその道を歩いていた。ぼくを発見した彼女は自転車から降り、その場で会話になった。
今年の中学校の同窓会で彼女にはMCをしてもらった。彼女のMCは最高だった。60数人を前にして、心に残るキレのいいトークをしてもらった。

「サイモン&ガーファンクル」が世に出たときには売れなかった。失意の中でポール(サイモン)はヨーロッパへの一人旅に出て、アート(ガーファンクル)は大学院に戻った。しかし、奇跡はここから始まった。彼らが作った「サウンド・オブ・サイレンス」が、プロデューサーの手によってシングルカットされ、販売されると、この曲は人々の心をとらえ、全世界に広がっていった。曲によって、人々の心をとらえ、曲が全世界に伝わったことによって有名になったデュオ。
澄んだ2人のハーモニーは色あせることがない。それにしても、1960年代にそのほとんどが作られた彼らの曲は、ちっとも古くさくならないし録音の状態もいい。手にいつも持っているiPhoneの中には、彼らの曲が21曲入っている。
2人の曲には、青空や紅葉がよく似合う。紀の川市議会の傍聴のために京奈和自動車道に乗って本線に入るところから「サイモン&ガーファンクル」の曲をかけた。天気のいい日に車の中で曲をかけると流れるような景色に「サウンド・オブ・サイレンス」などの曲がとけ込んでいく。そう言えば、『卒業』でも走る車の映像に重なってこの曲が流れていたような記憶がある。車を走らせながら彼らの曲に耳を傾けていると2人の存在を教えてくれた彼女のことが蘇ってきた。青い空に消えていく曲は、目に見えるように綺麗だった。

雑感

Posted by 東芝 弘明