ゆきすぎた個人主義

雑感

ゆきすぎた個人主義という言葉がある。
個人主義をよかれと思っていないニュアンスがこの言葉にはある。
ゆきすぎないちょうどよい個人主義というものがあるのだろうか。ちょうどよい個人主義という言葉は、聞いたことがない。ゆきすぎた個人主義という根底には、個人主義をよかれと思っていないという認識が潜んでいると思われる。
なぜ個人主義をよかれと思っていないのだろう。個人主義のそもそもの意味を見てみるとその辺の謎が解けるかも知れない。

大辞林で個人主義を引いてみると、「① 〔 individualism 〕個々の人格を至上のものとして個人の良心と自由による思想行為を重視し,そこに義務と責任の発現を考える立場。 →全体主義 ② その人の属している組織全体・社会全体のことを顧慮せずに,個人の考えや利益を貫く自分勝手な態度」
という説明が出てきた。とくに②も個人主義の意味として説明しているが、この説明は、利己主義についての説明ではないだろうか。
広辞苑第6版は、個人主義と利己主義を区別して次のように書いている。
「(individualism)個人の自由と人格的尊厳を立脚点とし、社会や集団も個人の集合と考え、それらの利益に優先させて個人の意義を認める態度。ルネサンスおよび宗教改革期における個人的・人格的価値の発見により自覚され、社会の近代化の進行に伴って普及するに至った。俗に、利己主義(egoism)と同一視されるが、基本的に別である」

「自分の権利ばかり主張して、義務を果たさない」というのを「ゆきすぎた個人主義」だと思っている人もいると思うが、これは個人主義ではなくて利己主義ではないだろうか。個人主義は、自分の尊厳や権利を大切にするのと同じように、相手の尊厳や権利を対等の人間として認める。自分とともに相手を大切にするというのが、個人主義の本質だと思われる。

個人主義に対する考察を深めるためには、どうしても社会や集団と個人主義との関係を論じざるをえない。人間は、集団を形成し社会を形成している。社会から離れた個人というものも、集団から離れた個人というものも存在しない。どんな人間であれ、社会で生きて行くためには、何らかの人間関係(経済的関係や社会的関係)を結ばなければならない。それを拒否したければ、無人島に行くか山の中に入って、完全な自給自足の生活をおくるほかない。都市も農村も、人間が生産した全ての物も、すべて人間関係の産物に他ならない。

個人主義は、社会や集団と対立するものではなくて、社会や集団を形成している根本には個人があるとする考え方だ。この個人主義は、歴史的に形成されてきたものだと思われる。群れとして生活していた人間は、自らを人間として自覚する以前から集団で行動していた。集団で行動し生活している中で、人間は、言葉を使うようになり、意識を持つようになってきた。群れとしての集団があったからこそ、人間は言葉を獲得し、自らを自覚するようになった。労働によって言葉が生まれ、文字が生まれ、さらに労働によって社会を形成するようになっても、かなりの長い期間、人間は個人というものをなかなか自覚できず、人間は種族の一員として生きてきたと思われる。
個人の尊厳が自覚されるようになったのは、かなり現代に近いと思われる。近代的自我の目覚めという点でいえば、日本の場合は明治以後ということになるかも知れない。

日本の歴史でいえば、日本国憲法によってはじめて個人の尊厳と個人の幸福追求権が保障されたと言っていいだろう。戦前、主権は天皇にあり、女性には参政権もなく、親に仕え夫に仕え、老いては子に従えというのが女性の生き方だとされていた。個人の尊厳が憲法にうたわれてはじめて、国民主権が実現しだのであって、日本の個人主義が、憲法に基礎をおいて歩み出してからわずか70年しか経っていないということではないだろうか。
明治以降、近代的自我の目覚めという運動があったが、それが国民全体のものになったのは、戦後だったということなのだと思う。個人の尊厳を大切にしながら社会を形成し集団を運営するという営みは、日本の歴史上まだほんの少しの経験しかないといえるのではないだろうか。

立憲主義を守れ、安保法制反対という運動の中で、日本国憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」というこの規定が、日本国憲法上最も重要だということが強調されたのは、日本の戦後の運動としても画期的なことだったと思われる。安保法制反対の運動によって目立ったのは、自立した個人が、個人の自由な意思で集団を形成し、運動を形づくったという側面にあった。
このような運動の仕方は、60年安保にも70年安保にもなかった新しい運動だった。この運動を通じて、以前から続いてきた組織や運動も大きな影響を受けたのではないだろうか。

個人の幸福を追求するために、自覚した人々は、自らの意志で組織を作り力を合わせて運動を起こすようになりつつある。この運動を通じて、国民は個人と組織の関係、集団の関係、社会との関係を新たに再構成するのではないだろうか。
個人の尊厳を守り、個人の意志を尊重することと、組織を運営することが、両立するということを、日本人は運動を通じて実践的に学ぼうとしているように見える。

日本国憲法は、第2次世界大戦の惨禍の中から生まれたものだった。この憲法には、人類の理想と希望が盛り込まれていたし、日本の未来の姿を示すものでもあった。しかし、この憲法は、日本の民主主義の価値あるものを受け継いだという側面ももっていたが、それは国民全体のものにはなっていなかった。
日本国民は、戦後の運動の中で日本国憲法を自らの生活に引き寄せ、運動の中で憲法を自分のものにしてきたと思う。しかし、それでもまだ国民全体のものにはなっていない。
日本には、あの第2次世界大戦をよかれと思っている勢力があり、当時の戦争への憧れと郷愁をもって、時計の針をあの時代に戻したいという勢力がある。しかもこの勢力が、政権を握り憲法改正を正面に掲げて、歴史を修正しようと必死になっている。
戦後、日本国憲法を大切だと思ってきた人々と、憲法改正をどうしても実現したいと思っている人々との間で、憲法が揺らいでいる。このせめぎ合いの中で歴史がどう動くのかが決まっていく。
憲法を守ろうとしている人々は、21世紀を日本国憲法の条文が生きる国にしようとしている。社会の民主的発展の展望は憲法にこそある。憲法改正の対案は日本国憲法そのものになる。こういう自覚を持ち始めている。

日本国憲法を守るたたかいは、新しい日本をつくるたたかいになる。70年前、戦争の惨禍によって生まれた日本国憲法は、この戦いを通じて、もう一度国民の中で誕生する。日本国憲法は二度生まれる。国民の中に根をはった日本国憲法の二度目の誕生は、日本社会を生まれ変わらせる物質的な力をもって、新たな歴史をひらく。

雑感

Posted by 東芝 弘明