情景描写と物語
夕方、自治区長会との忘年会があるので、歩いて旧大門口橋の橋詰にある居酒屋に歩いて行った。ぼくがお店の所まで歩いて行くと、大きな白いワンボックスカーがハザードランプを点滅させて、お店の横に止まっていた。
「山下君だろう」
そう思って近づいていくと、女の人と男の人が3人車から降りてきた。違ったなあと思いつつ、この人たちの後についてお店の引き戸を開けた。玄関を開けて中に入ったのは、初めてだった。店の中は狭いよと聞いていたが、なるほど狭かった。店の中には既に2人のお客さんが座っており、3人の人たちが通路に並ぶと、人で溢れかえるような雰囲気になった。3人はお店の女の人と話し始め、縦に並んだ4人目のその女の人がぼくの方を見た。
「この人たちとは別です」
ぼくが手を振って説明しても、怪訝そうな感じが漂った。
「予約の方ですか」
3人の人越しに話になった。
「自治区長会との忘年会です」
女性は、予約のメモを書いたボードに体を動かし、それを見ながら言葉を返した。
「自治区長会の忘年会は6日だと思うんですが」
今日は5日だ。
「あっ、そうですか。日を間違いました」
ぼくのその言葉を聞いて、女性はむしろ不安になったようだった。
「今日ですかね。私が間違ったんかな」
「いえいえ、ぼくが間違ったんです」
そう言ってぼくは店の外に出た。恥ずかしかった。
自宅から傘を差して、パラパラ傘にあたる音を聞きながら15分歩いて来たが、傘を差してみると雨の音が傘にあたらなくなった。ぼくは傘を閉じた。来るときは裏道を歩いてきたが、帰り道は480号を歩いて帰ることにした。傘を杖代わりにしながら、広い場所に来たので傘を地面に寝かせて、iPhoneの日程を見直す。12月5日、区長会との忘年会という日程を12月6日に変更した。
日程を間違うことは年に何回かある。今日は日を間違って記録していた。
ぼくの同級生は、歩いて役場に行くと言い、実家までも歩くという。その話を聞いていると、同級生の家からすれば、実家まで30分以上はかかるんじゃないかなと思った。それともぼくの足が遅いのだろうか。しかし、まあ、歩くことはいいことだと思った。
自宅に戻って、短編小説をいくつか読んだ。すっと情景が浮かばない小説は読むのが苦痛になる。書き手の書き方に引っかかることもある。読んだ小説の中に、七輪の練炭がお肉の脂で燃え上がり、その炎を避けるために七輪の上に置いた網を持ち上げるシーンがあった。作者は、いとも簡単に網を持ち上げたシーンを書いていたが、普通は、トングか火箸で網を挟んで持ち上げないと熱くて網がもてないと思われる。実際に七輪の練炭が油で燃え上がると、大慌てになる。それを炎が上がったので網を持ち上げてというような書き方になると、引っかかってしまう。「熟れた柿色のような火があがった」という良い表現があるのに、ある人物が「網を持ち上げて、ふうふうと噴火口をふいた」と書いている。これではリアリティが損なわれる。網の持ち上げ方も問われるが、ふうふうと噴火口をふいたのが、網を持ち上げた人間だとうまく絵が結べない。こういう部分を見えるようにリアルに描かないと描写にならない。
描写過多にならず、短く省略を効かせながら見えるように描く。これが難しい。でもこれが書き手としては面白い。