子どもの自由と大人の無限

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卒業式のあいさつを書いた。というか、以前に書いていたものに手を入れて仕上げた。
「ちょっと親友、ちょっと心友」という話を学報「くすのき」に書いたので、今回は、心について話をすることにした。
「心は伸びたり縮んだり」──題を付けるのならこういうことになるだろう。
前に「育心」という話をしたことがある。明日の話は、「育心」の続編になる。
小学校時代というのは、純粋無垢な時代だと思う。そこには、人生の重さも深刻さもまだ感じないでいられる夢のような時間がある。その中で、子どもたちは精一杯遊び、心と体を動かすのがいい。
大人になるというのは、さまざまな悩みを抱えるということでもある。
自由な世界から不自由な、制約のある世界への階段を登るということが大人になるということなのかも知れない。
しかし、子どもの時代には身につけることのできなかった、さまざまな能力や技能を身につけるのが、大人になるということだろう。
子どもの時代には、永遠の時間と自由があるようにさえ感じる。大人になるということは、夢見ていた世界から取捨選択して、現実の世界の中に、ある意味では夢のない世界に入っていくということでもある。
しかし、大人は、現実の世界と格闘しながら、現実の延長線上に具体的な夢を描くようになる。
夢に至る航海を支えるのは、身につけた能力と技能だろう。
自分のできることをせばめながら、同時に大人は具体的になる世界の中に永遠のテーマを見つける。
子どもの時代には、360度あった自由が、おとなになると角度の狭い世界に入っていく。しかし、その具体的な世界にも永遠はある。無限がある。大人は、子ども時代よりも狭くなった選択肢の中で、無限の可能性を具体的に夢見るということだ。
それも人生。豊かさは自分の身近なところに存在していて、たえず自分の前を横切っている。気が付く人と気が付かない人がいる。気が付いた人は、現実世界の中で具体的な夢を見る。そして、その夢のど真ん中を生きていく。


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Posted by 東芝 弘明