テレビを子育てのツールにしてはならない。

未分類

聖路加国際病院副委員長の細谷亮太先生のお話をポッドキャストで聞いた。「学問のススメ」の3月9日の配信のものだった。
小児科の先生である細谷さんは、2歳の子どもに対してテレビを子守代わりに与えているとどうなるのかという話をされていた。2歳の子どもは、コミュニケーションをとろうとする。テレビから笑いかけられたからといって、それに子どもが反応しても、テレビはこどもに反応を返してはくれない。ときには、出演者が怒ったり、泣いたり、ドラマやアニメなどだと暴力的なシーンが出てきたりする。
子どもは、全くコミュニケーションがとれない。
コップの中にノミを入れる。上からフタをする。ジャンプするノミがフタにあたると、何度かジャンプをした後、ノミはジャンプすることをやめてしまうのだという。
子どもが、テレビに対して笑いかけたり泣いたりしても、反応が返ってこなかったら、子どもは反応することをやめてしまうのだとも語っていた。
なるほど。
ものすごく分かりやすい。
テレビを子守代わりにするのはものすごく恐ろしい。
大人はこの恐ろしさにあまり気が付いていない。
自分たちは、テレビがこちら側の反応に応えてくれない機械だと分かっているから。
生後間もない子どもたちは、自分が泣いたり笑ったりすると反応を返してくれる母親や父親とのコミュニケーションの中で、つまりキャッチボールの中で、人間になっていくのだ。
泣くことしかできない子どもが、泣くことによって母親に自分の要求を伝えて、おしめを替えてもらったり、ミルクをもらったりして、愛情を確かめながら育っていくのだ。
人間はコミュニケーションする中で人間として育つことを忘れてはならない。
そのことを面倒くさがったり、嫌がったりする傾向が強まっているが、それは人間にとって、実はものすごく恐ろしいことなのではないだろうか。
今日はこんなことを考えた。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明