菅話法が成り立つのは、記者が追及しないからだ

雑感

菅さんの話法を菅話法だとか言っているけれど、記者会見で向かい合ってるマスメディアの記者たちが、少しも突っ込まないので成り立っているだけの話ですよね。
前川さんが明らかにした文書に対して、菅さんは、

「あの文書がどういう文書かさえ、その作成日時だとか作成部局だとか、そういうのが明確になっていないのではないか。通常、役所の文書はそういう文書じゃないと思いますよ」
「誰が書いたか分からない、そんな意味不明なものについて、いちいち政府で答えるようなことはない」
「怪文書みたいなものなのではないか。出所も明確になっていない」

と言っていたのに、これに対して記者はただ聞いていただけ。東京新聞の女性記者が突っ込んだことによって、再調査に一気に傾いたほど菅話法は底の浅いものだった。

なのに、
文書が出てきたら、
「怪文書という私の言葉だけが独り歩きしているのは、極めて残念だ」
と言った。毎日新聞は、この表現を引いて、トーンダウンしたと書いた。

「人ごとのように言うべきではない。こういう発言は、無責任で無反省ではないか」となぜ書かないのか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明