自己嫌悪と自己肯定感

雑感

自己嫌悪という感情がある。ただし同じ自己嫌悪でも、いくつかの傾向がある。
自分と他人を比べて自分の方が劣っていると思い、自分の嫌いだと感じるケース、これは対他的自己嫌悪だ。理想が高く、その理想を実現できない自分を嫌うケース、こちらは対自的自己嫌悪だ。
自分が愛している人を傷つけてしまい、そういう自分を許せないと感じる気持ちによって自己嫌悪に陥ることもある。これは対自的自己嫌悪だろうか。自分の容姿に対してコンプレックスを抱いている人は、対他的自己嫌悪だろうか。

日常的にネガティブな思考に陥りがちな人は、自己嫌悪に陥りやすいと思われる。物事をネガティブに捉えがちな人は、生育過程で否定されてきたことが多かったのかもしれない。自己肯定感が育っていないことによって、ネガティブ思考に陥りがちということもあるだろう。
ネガティブな思考にもいろいろな傾向がある。それはたえず欠点や問題点を見つけようとする心理と結びついている場合もある。自己否定から生まれてくる場合もある。

と、まあ一般論を書いていてもほとんど意味はないだろう。それよりも、具体的に目の前にいる人の自己嫌悪の傾向や自己肯定感のなさがどこから生まれているのかを把握して、関わっていく方が大事ではないだろうか。
もちろん、自分の働きかけによって相手を変えるというような大それたことはできない。相手を変えることはできないけれど、相手に働きかけることはできるし、影響を与えることはできる。見届けることはできるということだ。野菜が伸びるためには、杖のような棒が必要になる。茎の横に棒を刺してその棒を支えにしてまっすぐ茎が伸びるようにしてあげれば、野菜の苗はまっすぐに育つ。

伸びる力はその人のもの。その力を信じて力を添えることはできる。難しいのはその加減。頼り切って依存するようになっても、本当の成長はない。自立、対等、自由、平等、こういう関係のもとで働きかける。こういう寄り添い方がいい。そうすることはかなり難しいので、試行錯誤を繰り返すことになる。試行錯誤の連続が人生というものではないだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明